絵を描くという行為では、物事の精緻な意味内容を表現出来ないので、取り敢えず少なくともここでは絵画言語というやり方と文章による物事の説明とは区別を付けておきます。形容表現の域を飛び出るものではないものであって申し訳無いのですが、というわけで、私の文章の書き方は絵を描くという行為よりも絵画鑑賞に近いということが言える、ということを申し上げておきます。
例えば、米国務長官のMike Pompeo氏は、最近の全世界規模での政治的動静について「これは、アメリカ対中国といった構図だけに妥当する問題ではなく、『自由』対『権威』の……」とおっしゃっています。また、例えば、米大統領のご子息であるDonald J.Trump Jr.氏は、「右」対「左」という構図で、私が見た最近upされたであろう動画では極左テロリスト集団であるAntifaという人的集団を叩いていました。このお二方では、同じ(ような)対象を鑑みておられるにもかかわらず、切り口が全く違います、ということがあります。
私Shinpei Sugiura(杉浦真平)は自閉症のスペクトラムの病気(発達障害等)ではなくて統合失調症(旧名精神分裂病)という病気です。「自閉症は津軽弁を話さない」(?)というタイトルの書籍が出版されているみたいなんですが、津軽弁といえば吉幾三さんを思い出します、「お巡り毎日ぐ~るぐる」とか「おらこんな村いやだ、東京さ行くだ、東京さ行くだ」とか(もしこれに津軽弁が反映されていないというのであればごめんなさい)。ところで、俳優で発達障害を自称しておられる栗原さん(?)て方おられますよね、あくまでテレビの画面越しに過ぎないのですが私が彼やその人となりを拝見した限りでは、上記「(お巡り毎日)ぐ~るぐる」(あたり)が理解できない(しづらい)方なのではないかと思われました(私Shinpei Sugiura(杉浦真平)は医師ではないので、仮にこの洞見が、彼個人において、当たっているとしても、それが発達障害の症状の一環に妥当する保証はありません、ということはお気を付け下さい)。私は、子供の頃、親に対して、馴れ合いで「おら」という一人称を使用していた時期があります。また、学生の頃太宰治の小説が好きで青森県の金木町にある太宰治の生家である「斜陽館」や吉幾三さんを記念するモニュメントを見学しに行ったことがあります。そういう人間からすると、やはり栗原さんのような方に対してはちょっとした「ズレ」を感じます。