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memo75

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ただいまコメントを受けつけておりません。

memo75

どうも。
ここはフォーマット上最後のメモ帳として使っていきます。新たなブログサイトを開設でもしない限りは。






5日前の3月6日にCOVID-19のvaccineの第三回目の接種を受けました。今回は、一、二回目と違って、ファイザー製ではなくモデルナ製でした。3日程度注射の針を刺した部分の周りが軽く腫れましたが、全身各所の痛みが軽減される感じでとても快適です。まああくまでもそういった感じですけどね。相変わらず屋外や商業施設店舗内でマスクを着用していない不謹慎というか怪しいもしくは不審なヒトビトが観察される昨今ではございますが、これをご覧になっている皆様におかれましても、喫緊の接種をおすすめいたします。

最近は、体操などとり行っております。やっぱり健康第一というのは本当ですね。私は、どちらかというと運動音痴の部類ですが、正しいやり方で全身の筋肉が動かされると、心身共に調子が良くなります。私、脚の筋肉はかなり発達しているんですが、腕が女の細腕みたいなんですよね。腹筋や背筋やスクワットはまともに出来ますが、腕立て伏せが一回も出来ません。ちょっと尋常ではない程度でその様なので、おそらく遺伝的な先天的障害だと思われますが、自分に出来る範囲の事を行っております。やっぱり足を動かすのが気持ちが良いんですけどね。
というわけで、自分の肉体を少しずつ物理的に自宅の外へ出す頻度を増やそうかなと考えております。ノートブックやPCの前で物を考えたり音楽を聴いたりしているだけでは、肉体も精神もおかしくなることを避けられないかなとは思います。ただ、外へ出ると、例えば敬礼という形で何らかの合図(?)を送ってくれるありがたい人たちがいらっしゃる一方で、不良少年少女の如く明らさまに絡んでくる輩が居るので、ルート取りを考えないといけないのですよね。
まあボチボチやっていきます。

というか、目、ヤバい。近視と老眼と白内障のトリプルでキてます。PCの画面もロクに見えません。眼科でもらった目薬をさせばさすほど悪化していきます。失明しそうなんでその目薬についてはしばらく点眼を中止しています。私、右目が利き目なんですけど、その眼医者さん私の利き目が左目だと言うのですよね。もちろん自分の利き手は右(右利き)であり、自分の軸足は左脚です(ボールを蹴るのは右足です)。白内障も目薬をささずに放っておくと症状が緩和されていくのでちょっと本当にそうなんだか怪しいところです。
そもそも、もう医者に掛かることは無いと決め込んでいた私ですが、某理由により眼科を受信することになりました。あまり乗り気でなかったんですがね…。
結局、白内障の症状が軽く進行してきたので、出してもらった参天製薬の「ピレノキシン懸濁性点眼液0 0,05%」という目薬を日に3回から4回点眼しています。もう一種類出してもらったニットーというメーカーの「チモロールXE点眼液0.5%」という目薬も処方通り寝る前に1回点眼する予定です。いや、そもそもは言われた通りにさしてたんですがね…。
後日、利き目が右目か左目かの測定がおかしいということで、再び測定してもらいました。で、そこの看護師さんにひたすら説き伏せられたんですけど、「いや、でも片目を隠して測定するやり方で左目がブレて右目はブレないというのは右目が利き目だってことでしょ?」と何度か言うとやっと測定されて(正常な状態なので左脚のふくらはぎに力が入ってます)、右目が利き目であるという測定結果が出ました。そのやり方なんですけど、目の前に両手で三角形を作って先にあるシンボルがどの様に見えるかというものです。というのは、後でもう一度測定してもらって、その時は体から右斜め前方にあるシンボルを対象に体を右斜めにズラして測定するというものでしたが(右脚のふくらはぎに力が入ってます)、左目が利き目と出たのですね。確かにその「様」に自分でも測定したらば右目がブレて左目がブレないという結果が出ました。結論から言うと、元来からの幼少期からの自分のものである右利き状態だと利き目は右になります。そうではない左利き状態だと利き目は左になります。ちなみに、その看護師さんには「『遠い』バージョンでやらせてもらいました」と言われたのですが、「『遠い』バージョン」ではなくて「『『右』斜め前』バージョン」の間違いでしょ?ということです。…私Shinpei Sugiura(杉浦真平)が服薬している精神科で処方される抗精神病薬というのはどの種類のものも例外無く肉体をその状態で固める作用があるのですが(そもそも患者をその様に取り扱う目的で精神科医が出す薬物)、「そうではない左利き状態」というのはその様な薬物の作用でそうなってしまっているところのもののことです。聴覚を通しての攻撃や電磁波によるそれの存在があるかもしれません。身体感覚が二分されているんです(だから自らの利き目を右目状態と左目状態に変えられてしまう様なことが可能となってしまうということです)。その意味でも「分裂」なんですが、そこのところを精神科医が「統合失調症(旧名精神分裂病)」の唯名に当て付けてこじつけているのかどうかは私は知りません。これらのことはそこの眼科医の先生には申し上げてありますが、その先生がそれをカルテに記入したかどうかは私は知りません。私見では、精神科医が提示する正常な状態があり、患者側にしてみれば自らの肉体のバランスを保つ(において)正常な状態があるということなんですが、患者当該ではない精神科医が提示するものが果たして患者において「正常」であるのかという問題があるということです。




報告を一つ。その一。(西暦2022年12月10日時点)


ハートフル川崎病院にも、最近、怪しげなサクラではない、普通の、というと妙ですけど、患者さんが戻り始めたみたいです。私Shinpei Sugiura(杉浦真平)が、西暦2017年の10月に倒れて入院した以前までの期間を災厄もしくは大崩壊以前とすると、その災厄もしくは大崩壊以前にくすぶっていた医師達とは少なくとも現在名前が掲示されている医師であるところの構成メンバーは入れ替わっています。(一部、旧経営陣や関係者や私の親族の犯罪者(私の実父や実母ではない)に私の自宅周辺にて絡んでくる連中が居ますが、この連中と(妙な言い方で申し訳無いですが)「現在の」ハートフル川崎病院の方々とは敵対関係にあるものと思われます)

結論から言うと、私が現在掛かっている同院の川村和正医師は名医です。彼の治療を受け始めてから私の病状は的確に段階を踏んで良くなっています。仮に、如何に医学研究者として(だけ)優れている医師が居ても、患者を良く出来ない医師が優れている道理はありません。かつて、精神医学界を業界であると言った精神科医の先生がいらっしゃいましたが、その当該業界もその辺は(で)実力主義の業界だということです。




報告を一つ。その二。(西暦2023年3月6日3時47分35秒記載)


約二週間程以前から右足の先から膿が出ている。発熱はしていない(ものと思われる)。先日、西暦2023年3月4日午前のハートフル川崎病院における川村和正医師の診察において、外科か糖尿病内科へ行けと言われた。ちなみに、診察の最後に右足の靴下を脱いでその右足を見せたら、壊疽の初期段階であると言われた(その時、同院にて見たことの無い老婆看護士が、私が川村和正医師に対して「見る?」と告げたら、診察室奥のカーテンをバッと開けて私が許可もしていないのに私の右足を見たということがあった。この日私がハートフル川崎病院を訪れるまでのこれらweblogにupした文章の内容からして、おそらく録音も兼ねて、診察を立ち聞きしていたものと思われる。)

抗精神病薬(アリピプラゾール)を服薬すると、明確に右足の状態が悪くなり膿が出る。右首の付け根に「~(チルダー)」の形をしたしこりがあるが、これが同所に出来たのは丁度二年前。現在では、これが小さくなってきたが、抗精神病薬(アリピプラゾール)を服薬するとこれが大きくなる。で、この大きくなったしこりがしばらく(抗精神病薬を服薬せずに)放っておくと小さくなってゆくのだが、それに従って右足先から膿が出るということがあるものである。抗精神病薬を恒常的に服薬している私Shinpei Sugiura(杉浦真平)と同じ統合失調症患者の人々はよくお分かりかと考えられるが、抗精神病薬によってもたらされる身体感覚の異常さというものは明らさまに存在する。養老孟司氏が「頭ではなく体で考える」ということをおっしゃっているが、抗精神病薬を服薬し始めてしばらくすると「その」身体感覚になれてしまい、思考回路を乱され始める。ちなみに、精神科医は、その患者の様態を(で)鑑みて「(精神科医にとって都合が)良くなった、良くなった」とひたすらに言うが、別所で書いた「再世界化」というのはこういうことで(も)あり、特定の医療集団の経営母体からヒトの医師を徹底排除しろというのは、決してきつい言い方でも何でもなく、こういうことである。

ところで、首上部をはじめ、全身の筋肉に力を入れることで、右足の痛みや腫れの問題はあっさり解決した。私は、この一週間、抗精神病薬を服薬しておらず、西暦2023年3月5日8時12分に一週間ぶりに抗精神病薬(アリピプラゾール)を服薬したが、明確に右足の調子は悪くなり、出る膿の量が減っていたものが右足先が痛み出しまた大量の膿が出るということに相成った。そもそも、胃に糖分を入れた直後、まだ腸からそれが吸収される以前に、血糖を測定して即高い値が出る(その後普通の食事を摂ると低い血糖の値が出る、只のお笑いである)ような血糖値測定器を渡してくるような医師の分際(日本医科大武蔵小杉病院の医師)で、糖尿病だとか上記これらが糖尿病の症状によるものだとか笑わせる。

ハートフル川崎病院の川村和正医師が下した医師としての判断の通り、私Shinpei Sugiura(杉浦真平)の右足が、その場での現態として、「壊疽の初期段階である」というのは(その意味で)本当であろう。もちろん、抗精神病薬(ここでは、アリピプラゾール)の効能によって。川村和正医師は、「外科(か糖尿病内科)へ行ってそこの先生の言うことを聞いてくれりゃいい」と私に告げたが、上記の通り、抗精神病薬を服薬することを止め、抗精神病薬によってもたらされた身体感覚を元に戻せば、症状はまたたく間に良くなるものであって、いちいちお金を出して体調不良を購入する馬鹿者は居ないということもあり、私Shinpei Sugiura(杉浦真平)は、現時点から、少なくともしばらくは、抗精神病薬の服薬を中止するものである。

また、横になって睡眠をとると、右足の病状は明らかに改善され良くなるものである。

余談だが、先日、近所最寄りのドラッグストア「クリエイトSD」へと来店したらば、右足を引きずりながら歩く私の左斜め背後からヤクザの様な「なんとかなんとかだろうがよぉ~う!!」という掛け声と思われるものが為されたが(それを打ち消す様に敬礼をしてくれる女性店員さんも居る)、来客や近所の中学校の生徒を装って絡んでくる連中の存在もあり、こういったところのものが現状である。…奴らが、同店にて私に買い物をさせないのが目的なのは分かっている。…奴らに乗る必要は無いということは明確に理解出来るが。店員の一部は奴らとグルである(いわゆるバイトテロ)。彼らは、奴らに、威力業務妨害を行わせて、こちらに対するエンクロージャーを為している。

一部で、「まだ、それが気になるのか」などと言う者らが居るが、「当たり前だ、テメェらがヤってるからに決まってんだろ、ナメてんのか」と言われるべくのものであり、露骨に喧嘩を売っておいて、「本当に凄いよね、その仲間意識」とでもしか言い様が無いところのものである。

要は、精神科医が、私Shinpei Sugiura(杉浦真平)に対して、統合失調症の判定を取り下げればよいということである(その場合、私は、もう、少なくとも精神科の病院などへは行かない)。その場合、精神科医らは、精神医療業界ごと大打撃であろうが、そんなものは医師らの自業自得である。下記にも記載してあるが、勝手にヒトを病院へ連れ去っておいて、「アンタは統合失調症、ハイ、サヨウナラ」というのは、専ら名誉棄損(の類)であり、人種差別当該どころか、医学的判断基準を人種差別ツールへと堕とすものである。




時事ネタを一つ載せますね。その一。(西暦2023年1月9日4時38分記載)


自宅マンションの北側道路を挟んだ向かいの自称老人介護施設から事あるごとに発せられたり止んだりする脳に響く騒音があるが、どうやらそれのタイミングを鑑みていると、連中はヒトに(おいて)普遍的な「それ」が存在すると思い込んでいるらしい。連中は、ヒト個々人にまつわる体調や都合は無視して、ひたすら連中が理解するところの「それ」が絶対普遍な(何らかの?)基準として存在し、ヒトにまつわる永久不変なテーゼとして存在するかのように見せかけ、ひたすら欺瞞すると共に(騒音という形で)当て付けてくる。

ところで太宰治は日常的坐臥の自体的存在価値を(それこそ)自体的に勧めたが、連中の暴力団医学はその(上記の)程度なので、「患者」一当該としては全くその様なものを相手にする価値は無い。一般的な精神医学の正体は基本的にコレである。私はこの様なものを採用する気は無い。迷惑千万である。

朝は起きて夜は寝る、のが、イコールでヒトではない。その事が健康のバロメーターになるわけでも何でも無い。睡眠の質が悪かったり量が足りなかったりすれば、ストレスで自覚的な体調不良も引き起こされるだろうし、そもそも非自覚的な体調不良ということでも健康を害する。…この様なものの被害に遭っていれば、当然睡眠障害も引き起こされるということである。それを考えると、自宅においてマンション階下方面から事あるごとにドカドカドコドコ立てられる過大な騒音による嫌がらせも同集団によって行われているものである可能性が高い。ちなみに、ハートフル川崎病院の(自称)川村和正医師は、それ(自分達がそういった嫌がらせを被害者である患者に対して行っているということ)を否定したが、私Shinpei Sugiura(杉浦真平)が同院診察室にて「抗精神病薬を服薬すると基本的に眠れなくなる」と告げると、マンガ的な不快さ満面な顔を故意に取り繕うという事を行った、ということがあった。

「管理の為の管理」とは、まさに連中の為にある言葉であり、ひいては「戦場を故意に敷いている」というのも連中の実態を的確に表す表現である。国家の主権とは一体何処から来るのか。行っていることは戦争ではないか?弱小国は弱小国のままでよいということなのか?アフリカでは泥水を汲む為にボトルを抱え数十キロも一日あたり歩かされる子供達が居る…。

昨今、軍事力や経済的指標(だけ)の「ハード・パワー」ではなく、文化的な(ものの)「ソフト・パワー」ということが云われている。




時事ネタを一つ載せますね。その二。(西暦2023年1月6日12時56分記載)


お正月の新聞に、損害保険大手の損保ジャパンのネット上での早回しCMについての記事が載っていた。「どうしたら自分たちのことを知ってもらえるか」という下りだったと記憶している。

ず、若者の保険離れと言われて久しいが、そのコマーシャルを見る者が全て該当企業の保険サービスに興味を持っている者であるとは限らない。損保ジャパンの場合は、知名度も既然的に存在し、その類の大手企業であるものであり、まずは「損害保険どうですか?」という入りから始めて、段階を踏んで、顧客を引き込んでいくというスタンスの宣伝が効果的かと考えられる。そもそも、云われるところのキャンセルカルチャーの社会的な存在ということを考えると、いきなり早回しのCMを見せ付けても、「なんだよコレ、またアレかよ」といった感慨を、特にネットを利用してのそれとなると、消費者側は抱かざるを得ないという現状が在ると考えられる。よって、特定国家や医療業界のやり方ではないが、上記の様なものが効果的であると、一消費者としては、考えられる。

そもそも、キャンセルカルチャーと云われるところのそれは、ヒトにおいて元来的に備わっているものであると考えられる。心理学の方面では恒常性などと言われているし、日常生活における慣れやヒトの生にまつわる老い、一部の若者のレコード愛好における「この手間がいい」といった感慨、などということを考えればそれは当該的に当然のものであるかとも思われる。つまり、ヒトは、キャンセルカルチャーへの自己の依拠の度合いが高い程、「既存の」ものを肯定し易く、一回食い付かせてしまえば(という形で)、(彼らは)顧客としての収益性ということでは見込みがあるということになるだろう。

私事ながら、キャンセルということで言うと、そもそも私Shinpei Sugiura(杉浦真平)はもう精神科以外に掛かる気は無いが、もし仮に、医師達が私に対して精神科の病院へも来るなというのであれば、統合失調症の判定を取り下げていただくしか無い。勝手にヒトを病院へ連れ去っておいて、「アンタは統合失調症、ハイ、サヨウナラ」というのは、専ら名誉棄損(の類)であり、人種差別当該どころか、医学的判断基準を人種差別ツールへと堕とすものである。特定の種類の医薬品の投薬に関しては、場合により、傷害罪に該当するものであったりするだろう。特定の社会的行為については、場合により、脅迫罪その他に該当するものであったりするだろう。あまり、診察室内での事を口外するなというのであれば話は分かるが、しかし、医師によるパワーハラスメントというものも存在し、患者一個人としてはその様なものから身を守る為には必要概としてのやむを得ない措置というのも有り得る。この様な事を考えると、漠然とした社会不安の顕在化という形でのキャンセルカルチャーというものは、その存在意義はともかくとして、在るだろうとは考えられる。

「未知性」ということとなると(当該的に)分かりづらいが、完全なヒトは居らず、まずは自分を知ることから始めようよということだろう。




普通の読み物風のを一つ載せますね。その一。(西暦2022年12月17日18時51分記載)


最近、「人生色々あるさ」などと思える様になってきた。これは、以前の私には考えられないことである。米エール大卒の日本人の医師の先生で「日本人に特有の『べき』思考」などとおっしゃっている方がいらっしゃる様だが、「~すべき」「こうあるべき」等々、そのような思考の水路付けから逃れられる様になってきた。以前の私は、例えば食事ということになると、体調どころか物理的な胃の容量さえ鑑みずに、「これをこれだけ食うべき」「これより先にこれを食うべき」「出ているものは全て平らげるべき」等々、それについて殆ど憎しみに基づく強迫観念でものを食っていた。食事を楽しむという発想自体が無かった。ごく自然と自制的に、食べ物をチョロチョロつまむなどということも出来る様になってきた。私Shinpei Sugiura(杉浦真平)にまつわる、あの自虐的過食もしくは過度の食傷とはほぼ無縁となってきた。その様な私自身不思議であるが、この念自体がまた私の中に横たわる邪魔者であると言うことも出来るかもしれない。

しかし、別所でもこのことは書いたが、特に人生というものに捕らわれる必要も無く、気に入らなければ人生などというものはポイッと捨ててしまえば良い。逆説的に、そうしてこそ自分の人生を客体視することが出来るようになるものと考えられる。生きるというのはそういうことだろう。踊らそうとしてくるものに踊らされながら、精神的にも肉体的にもズタズタボロボロになって、滅茶苦茶になりまた全てを滅茶苦茶にしながらクリーチャーとして生きる必要など何処にも無い。特に日本のマスメディアに多いが、生きるということを自体的に目的概化させようとする連中も居る。そういった連中から身を守るには、自分から人生なるものを(少なくとも一回は)捨象してみることである。ヒトは生きる為に生きるのではない。例えば、「人工知能に社会を支配される」などと主張している連中が居るが、人工知能を管理統御するのはヒトであるが故に、連中は管理外化されるのが恐ろしいのである。人工知能とは関係無いところで生きていたいのが連中である。社会概な自己の存在を問うということは連中においては無い。つまり、生きる為に生きているのが連中だということである。私はここで、例えば、生活保護受給者を馬鹿にしたり侮辱したりしているのではない。それは、ヒトビトの生活スタンスの問題ではなく、ヒトビトの社会性にまつわる問題だということである。

人間の内面なんてそうそうキレイなものではない。私は自分が清潔な人間であることを自称するつもりはサラサラ無いが、「そういったことを書いている」私(だから汚いということ)でも、様々なものがどんどん出てくる。…私は、統合失調症患者の身で、思考盗聴によって頭の中を覗き見られていることに敢えて異論を唱えるつもりは無いが、ヒトとヒトが分かり合うというのはその人間の内面を全て知り尽くすということではないだろうと考える。というのは、ヒトは社会に(おいて)生きており、それについては知っても知っても知り尽くすことは無いという、これについては別所でも書いたが、それは「男集団」を意識する女性的なもののそれである、ということである。女性はやはり男性に比べて社会不安に駆られ易いのだろう。「理系女子」などと呼ばれているが、科学的態度というのは、女性的なもののそれではないかと私は予想する。……(「既知性」及び)「未知性」というのはそういうことであり、これは「無知の知」というのがどういうことかということにもつながってくるだろう。…ちなみに、ブッラクホールの中にエイリアンが住んでいる(?)かもしれないという科学者による知見があるが、我々地球人の常識やロジックが全く通用しないところにて存在している知的生命体の存在の可能性ということについても考えておいた方が良いだろう。例えば、1+1が13になるとか、そういったことが成り立つところに存している存在とか、ね。

余談だが、どこか別所で書いたキャバクラという事に関して、その様な場として提供されているものであるから、私は躊躇無く色々な話ができる。これが只の喫茶店やコーヒーショップやレストランということになると、私はその様にはしゃべらないだろう。それは、その様な場で相手のヒトに合わせるということではなくて、その場という云わば「味覚」によって私は態度を変える(味によって変えざるを得ない)ということである。その意味では、私は、彼女らを真に慮ってはいないが、風俗店の社会的価値はもちろんその様に評価している。私が社会学や経営学に(おそらく経済学よりも)興味を持つのはこういうことである。個人の社会的要請には私はまず受け答えない(キャバクラ嬢の指名の要請には私は答えたことが無い)。私Shinpei Sugiura(杉浦真平)個人の社会的な力など微々たるものであるということである。しかし、場のということになるとそれを私は重視というよりは重用している。そして、社会的常識というのも、私においては「味覚」の一つに過ぎない。だから、それは、味一つでおいしいかおいしくないかの問題であり、自分の舌の上で転がるものでしかない。そして、私は、舌に残る苦みを最も嫌う。また、甘みといっても、例えば、砂糖と果糖ぶどう糖液糖ではまったく味が違う。つまりは、その食べものの味でしかないということだが(もちろんここで言う「食べもの」というのは比喩表現であり、特に私が「人を食ってる」輩というわけではない)、(その)苦みというのは同じ一点に集約されるものであり耐え難い。もちろん、これは上記社会的常識と同値ではない。それは社会的無識とでも呼ばれ得るものである。それをcrash to createの繰り返しとは言わないが、特にこと味覚に関することとなると、飽きというものはあるだろう。

ミュージシャンの人たちは、良い音楽を届けてくれるだけで価値がある。その意味では、スーパーロックスターにおいてもストリートミュージシャンにおいても、機会平等性は保たれている。例えば、spotifyの収益率が低すぎるというのは、楽曲の価値に一義性を設定している人間の発想である。金を稼ぐ為に音楽をやるというのならば、金銭を得る方法などいくらでもある昨今、それはナンセンスなものとして扱われるだろう。楽曲の価値というのは多義的であり、それにつれてミュージシャンとリスナーを結ぶ経路も多様化していく。それぞれの技術が社会的に浸透した場合はじめてイノベーションが為されたと云うが、この場合、リスナーの存在によって「只それだけで」ミュージシャンにおける価値が創造される(もちろんミュージシャンというのは音楽をやるヒトのことだが)。私は、spotifyの「今月のリスナー」の数をいちいち私見するが、それには(第)一義的な価値など無い。音楽の楽曲性ということを考えた場合、ミュージシャンはinnovateされており、自分の楽曲について自信を持っている(べきだろう)。それこそ単調な伝染性というのもあるかもしれないが、良い楽曲というのはより多くのヒトに好まれるだろう。しかし、それが(第)一義というわけではないだろう。特定の楽曲が作られる以前からそれが存在するということは無い。それが近似の世界であるが故に(もちろん私は、特定の対象Aと特定の対象Bが似ている似ていないというのは分かるが、それが特定の対象の取捨選択の(第)一義的な基準になるということは無い)、少なくともこの点において有名税というのは否定される。流行り廃りというのはもちろんあり、我々は音楽家を聴くのではなく音楽を聴くのである。

破壊衝動の問題が考えられる場合、「義務教育」は逆手に取られ「教師」はその様に無視されるべきだろう。学校の外で学ぶことなど幾らでもある。教育の場というのは押し付けられるものではなく提供されるものだろう。前者の場合、教育が被教育へと変逸してしまう。特にそこでは生物学的な自己同一性が生物学的な自己同一性であるが故に無視されており、事女性ということになると彼女らは与えられるものである(社会の中心に居るのは女性である)。それは、性が善である世界であり、生物学的な自己同一性ということでも社会学的な自己同一性ということでも女性は尊重されている。…老人の役割というのは、ひたすら教えを説くことである。それの個々の是非について判断するのは若者である。いちいち老人と若者をversusにして対立構図を煽る必要など無い。そこでは今度社会学的な自己同一性が社会学的な自己同一性であるが故に(として)否定される。私はもちろんその意味で(は)世代間闘争というものを否定している。「何をなすべきか」というのはこうして立脚されるだろう。一部に離人症で云々という者も居るが、物事を客体視するということの重要さは理解されるべきだろう。

英語で、"The vague rumor as real thing is(was) proven."という場合、「あるのわかり」は受動態だ(で表現されている)が、"They prove(proved) the vague rumor as real thing."という場合、「あるのわかり」は能動態である(で表現されている)(前者は未知的であり、後者は既知的である)。

御名前は失念してしまったが、国際ジャーナリストと御自身を銘打つ某女史殿が、(「デジタル・ファシズム」についてはどうか知らないが)食のファシズムについて注意を喚起していることについて、それは「理系女子」ではなく「文系男子」の(による)それではないかと考えられる。というのは、他己の存在についての証明を欲する、概して虚無主義的なその社会性は「理系女子」のものだからである。彼女は、他己の存在についての証明を、この場合、必要としていない。「ヒトは食われることによって進化した」ということをおっしゃっている学者の先生がいらっしゃったが、ヒトは、その様に食うことによって「既に」食われているということだろう。「これは食えるのか食えないのか」ということを(で)識別するとなると、(「既知性」及び)「未知性」ということと関連してくるだろう。食文化の歴史だけで人類の歴史が成り立っているわけではないが、いざとなれば食べられるものは何でも食うのがヒトである。




普通の読み物風のを一つ載せますね。その二。(西暦2022年12月26日14時09分記載)


人権活動家と民主活動家は違う。前者は然るべきものだが、(私は)あまり後者には賛同出来ない。悪質な人間も多々居るという言い方も出来るが、更生というのは医学的に行われるべきものであり、ヒトが生物である限りにおいて、社会的更生などというのは言語矛盾である。ヒトビトが踏み躙られ踏み躙り、その様に自分や他者の人権を踏み躙るとなると、それは只の非行である。社会秩序の維持は医師の仕事ではないが、それはマスコミにおいても同じである。医師やマスコミ関係者がその様なものにコミットする場合、それは只の甘えであり非行少年少女のそれである。医師もマスコミ関係者も一人一人は生きているヒトであり、生物としての彼らを無視するわけにはいかない。別所でも書いたが、医療がその様な体制を執る場合、それこそ医療社団法人ならぬ医療法人社団が出来上がらざるを得ない。それは暴力団と何の違いも無い(私は指定暴力団の構成員がイコールで悪党であるとは言わない)。社会主義国家群と民主主義国家群は、(少なくともその意味で)相互扶助の関係であり、(物事の程度問題として)習近平氏はそこのところは押さえておられる様に見受けられる。これが失われた場合どうなるか?戦争が勃発する。習近平氏は戦争には反対しておられる。ゼレンスキー氏もそこのところは押さえておられるのかもしれないが、(少なくとも現在では)ロシアはそうは見做していない様である。プーチン氏は、当初、これは戦争ではなく軍事作戦だとおっしゃっていたが、後にこれを戦争であると明言された。そこには、国家群の各指導者における民主主義性の解釈の問題が横たわる。ゼレンスキー氏は、近日訪米された通り、少なくともそれについてはアメリカ的である。プーチン氏はそれによってロシア(的なもの)を壊さないでくれという様なことをおっしゃっておられたが、それが通じず、ロシア国を守る依拠に出た。何度も言う通り、戦争はプーチン氏の本望ではない。ここへ来て、彼は、戦争終結の為の話し合いを、と、おっしゃっている。

戦場を故意に敷いているだとか、管理のための管理だとか、そんなものは無い。ヒトとしてのスペックを自らダウングレードしているというのは、少なくとも私にまつわる病気の症状として、有るかもしれないが。

外敵に対する抵抗力をつけておかないとすぐさまやられるというのはあるだろう。それは、上記戦場を故意に敷いているだとか管理のための管理だとかいった事ではない。奇しくも、旧統一教会問題にまつわる宗教二世の救済の問題が取り沙汰されている昨今だが、そういった抵抗力無しでは、例えば、あくまでも悪質な、ということだが、新興宗教から身を守ることは出来ない。日本国では信教の自由は保障されており、私は特段新興宗教の類を頭ごなしに否定するつもりは無いが、そういった彼らは自らの活動内容を全て公にすべきだろう。「悪党」もその活動内容は全て公にされるべきだろう。もちろん警察は見ている。警察が「悪党」がやる様に「公に」絡んでくると思うか?「悪党」の公は主張表現の類である。警察はそうではない。

仮に私が警察の幹部であるとして、警察を「こうやると」、それはゲシュタポである、と、云われるのだろう。現代日本の警察とゲシュタポとの違いは、その様には「手が出ない」ことである。「警察は証拠が無いと動けない」というのは建前だろうが、そこで特定の対象が銃撃されるとなると、それはGeheim Staats(Polizei)であるということになるのだろう。警察自身が警察機構自身(としての立ち位置)を守るため、警察をゲシュタポ化させない、というのが正解だろう。警察は(その様な(に))法に則って動く。「法は社会の反映である」、その様にそこでは社会的更生というものが通じてしまう。




普通の読み物風のを一つ載せますね。その三。(西暦2022年12月28日18時13分記載)


当該の被害者をダシにしたりネタにしたりして悪事に勤しんだ上に全てのそれにまつわる犯罪性をその人物に引っかぶせてなすりつける事ができるかの様に主張する犯罪者らが居るが、仮にWINDOWS11のOSが入ったとあるPCにバックドアが仕掛けられているとして、それはMicrosoft社の責任が追及される案件である。もしそうでなければ、じゃあWindows Defenderって何なの?という問題であり、これは各セキュリティーソフトの機能面において強いとか弱いとかそういった問題ではなく、仮に「弱い」のであればそんなセキュリティソフトがOSに組み込まれていることがおかしいということである。つまり、その様なセキュリティソフトがOSに組み込まれているPCにバックドアを仕掛ける者のその行為が異常であり犯罪であるということである。実際、ジャーナリストで、「デジタルで個人情報は丸裸」という報道を行っている人が居るが、そういうことである。

社会には悪質な人間達も居るということであり、自分達が悪党であるという自覚が存在する限りにおいて彼らはその存在を許容されている。人々は、彼らの存在を無根拠に是認することも出来なければ、彼らの(その)存在を無視することも出来ない。

例えば、中国のzero-COVID ruling撤廃に関して。確かに急激にウィルスへの対策を全面的に破棄するとなるとそれは無謀かもしれないが、ウィルスへの対策が完全である(となる)事など無い。エドワード・ルトワック氏の様にそれについて懐疑的な論客も居らっしゃるが、おそらく当該ウィルスが死滅して消え去ることは無いという事を考えれば、それと地味に付き合っていく方が少なくとも長期的には賢いと言えるかもしれない。最近、中国では、当該ウィルス未感染者の新規雇用を避けて既感染者を優先的に雇うという企業が増えているそうである。中国人ではない者としては、中国における一般企業の雇用の自由度がどの程度もしくはどの様なものなのか疑問に思うが、確かに病欠されることを考えれば、特に即戦力に抜けられると困る業種では、その様なことに妥当性があるとは考えられる。死者数も増加している様だが、社会全体の落ち度とも云えるものが増幅するよりは、人々は賢明な道を選んでいるということかもしれない。ヒトの死に関してこの様なことを言うのはえげつないことは理解している。医療現場の逼迫ということを考えると、どう大本営発表が在ろうが、死に至る者は死んでいるしそうでない者はそうでないということである。




東日本大震災における犠牲者の方々のご冥福をお祈りいたします。

また、きましたね、同じような時期に…。(西暦2022年3月16日)
当方でも強い揺れを感じました。
津波の被害の方は大丈夫でしょうか…?




緊迫するウクライナ情勢ではございますが、戦火が早く止むことを心より願っております。ところで、「戦争犯罪」って何なんですかね?戦時下に起こる出来事の内、どのようなものであると「戦争犯罪」に該当するのでしょうか?私見だと、戦争行為自体が丸ごと犯罪かとも思われますが。ロシア軍は病院を攻撃して破壊しています。その理由として、その病院は過激派に占拠されていたということを挙げています。これは戦争です。(だから)ロシア側も分かってやってるんでしょ?違うの?以前もこういったことについては書きましたが、少なくともアメリカのホワイトハウスのサキ報道官のおっしゃることはそうですし、ロシア側にしてみれば自分達の社会の内実をないがしろにされたという念が強くあるわけです。クレムリンの高官達が全てそういう認識を抱いているかどうかは分かりませんが、プーチン露大統領は少なくともこの点に関して嘘は付いておらず本当のところを語っているでしょう。「こちらに対する敵方が行っているのは、こういうことだ」、ということで、「戦争犯罪」に該当することがある種平然と行われているということではないでしょうか。だから、いくら双方の首脳会談や外相会談を重ねても、ウクライナ側が毎回主張する通り、価値ある成果は得られないのですよね。社会の根底的内実から鑑みて、その位相からの話し合いを行わないと何も問題の解決にはならないのではないかと、私は、僭越ながら、存じ上げております。

ロシアが化学兵器を使用する懸念があり、もしそれが行われた場合はNATO(北大西洋条約機構)が(として)戦闘に介入するという情報があるようです。そもそも、NATOは非加盟国におけるそのような事態にはコミットしないとしており、そしてNATOの介入はウクライナのNATO加盟を否定するロシアの最も嫌がることだったはずです。だから、やっとNATOが動いたという解釈もあるようですが、そうではなくて、欧州における「戦争」へと追い詰められてのハシリであるということではないでしょうか。第三次世界大戦は回避されるべきであるとアメリカも当初表明していたはずです。しかし、化学兵器など使われた日にはそれはもはや核戦争と同等の脅威であるということでしょう。
私は(医師によって処方された医薬品として、云わば公式に)抗精神病薬という薬物によって自分を滅茶苦茶にされたことがあるので、あれら薬物の脅威についてはよく分かります。




最近、しばしばIQテストに関するものを見るので、一言。

私Shinpei Sugiura(杉浦真平)が読んだ何かの本によると、アルバート・アインシュタインはIQ175、ゲオルグ・フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ヘーゲルはIQ165、ジョン・スチュワート・ミルはIQ145、イマヌエル・カントはIQ135だそうです。

私には、
カントの哲学は理解できない。
J・S・ミルの経済学に関する著作は読んだことがない(大学の時、経済学史の授業で多少触れたことがあるが…、よく覚えていない)。
ヘーゲルの言っていることは、その意味内容からして、かろうじてなんとなく分かる。
アインシュタインの理論について、物理学のことは分からない。

もちろん、当時にIQの指標もそれを計る試験も無かったでしょうから、ペーパーの試験ということであろうが別の何らかの計り方ということであろうが彼らの残した業績をもとに現代のもので演算もしくは類推してということでしょうけど。

ところで、米エール大の日本人の経済学の教授で、「こんなスケベな国は無い」と、日本について、面白いことをおっしゃっている先生がいらっしゃるみたいなんですが、私Shinpei Sugiura(杉浦真平)は白色人種の女性や黒色人種の女性より黄色人種の女性が好みです。これは何故だか分かりませんが、私は白人女性や黒人女性に対してはあまり性欲が湧きません。別に彼女らにヒトとしての魅力を感じないわけではありません。私が予想するに、おそらく、同じというか近しいもしくは似た様なヒト同士で交配していた方が人類という枠組みで捉えるところのカテゴリーの種の存続においてはヒトの生態上都合が良いからではないでしょうか?

ちなみに、竜頭万里子さんの「究極のエニアグラム」の様に、その当該のヒトの行動に関する様々な事実からその該当のヒトのキャラクターを「判定」して位置付けるというものもありますが、上記にて私が言及している「(同じというか)近しいもしくは似た様な」ということにおいて、「判定」されたキャラクターが該当のカップルにおいて採用されるかというとそうではないでしょう。それは、当該カップルにおいて、(ヒトにおける性の欲動ということにおいて)真実ということではないでしょうか。

(IQテストに関する具体的な話。

ネット上に転がっているものは、何処のどういった主催者に拠るものであるか不明な上に、そもそもその本式のものである保証は何処にも無い(極論すれば、モニター上に何が映し出されるかでしかないということ)。大人は既に何らかの社会参画を果たしており、経験を多々積んでしまっているものであり、小児が受けるペーパーの試験で知能を計るということ自体がナンセンスである。テストの受験の回数を増やせばスコアが上がっていくのも同じことである。教育機関の入学試験でIQを計ることが出来ないのもまた然りである(私の記憶が確かならば、入試でのIQテストはそもそも法律で禁止されている)。知識の量イコール知能ではない。特に、老人は脳も含めた体の働きが鈍っており、病気を患っている者もおり、それでは老人のIQが極端に低いということになってしまう。アインシュタインが7歳児が受けるペーパーテストと同じものを受験してIQ175というスコアをたたき出しているというのではない。「memo69」というタイトルの記事で思考盗聴について触れておいたが、現在は、何らかの科学技術によってもっと複合的にヒトの知能を計ることが出来るのかもしれないが、残念ながら私はそれについては具体的なことは殆ど知らない。

(西暦2022年9月16日11時45分記載))




ところで、以前「歴史は化学を入れると面白い」というテーマ、だったかな(?)、で、語っていた化学の先生がいらっしゃったと記憶していますが、化学の理論や化学の実験が悪者にされるのは本意ではないので、逆に「化学は歴史を入れると面白い」というタイトルで一筆。

果汁100%のぶどうジュースを飲んでうめぇなあと思うのですが、太古の時代、ぶどうの美味みを何とかヒトが摂取可能な形でという見識からワインの製造や貯蔵の方法が確立されたのではないかと。あの時代、腐敗防止や冷蔵などという技術どころか発想自体が無かったっぽいですから、ヒトは発酵という手段に訴えたのではないかと。これはイケるぞ(飲めるぞ)、と。つまり、現代の様にそれらの技術が比較的容易なものとして普及しているパラダイムにおいては、賢い人は高価なぶどう酒より安くて美味いぶどうジュースを飲用する、と。

経済史というと、上記前者の発想から取り組む方が多いかと思われますが、E.H,カーの様な「歴史は科学だ!」という歴史学者の先生もいらっしゃる中で、上記後者の発想からアタッチしても面白いかと思われます。

私はですね、例えばフローズンヨーグルトがアイスクリームの代替財としては成立しないという価値観の持ち主なので、もしぶどうジュースがワインの代替財(この場合)として成立しないという主張をする方がいらっしゃればごめんなさい。どっちも飲むしっていう。……ここなんですよね、経済学があいまいさに基づく所以。経済学を教える先生たちには、大抵「AってBだよね!?」と自らの主張の下議論を推し進めてしまうヒトが多いような。例えば、白内障の手術という医療サービスが緑内障の手術という医療サービスの代替財として成立するということはあり得ません。こういったことに関しては私などより経済学者の先生たちの方が優駿でしょう。しかし、フローズンヨーグルトがアイスクリームの代替財となるかどうかというとこれは言い争いになるでしょう。焼酎と日本酒の味たるものがガキの頃は分からなくて片方が片方の代替財として成立したが、おっさんになった現在ではそれが分かるようになってそうではなくなった、という方もいらっしゃるかもしれません。お金の価値だって、同じ一万円でも、ヒトによって違いますよ?同じヒトでも時と場合によって違います。だから、経済学って決して万能ではないと私は鑑みるのですよね…。
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