あのですね、精神科医というのは「見りゃ分かる」ヒト達ですよ?だから私は精神科医の治療を受けています。私はヒトの理性や良識というものを信じているので。物事の善悪の分別も付きます。で、結果良くなってます。確かに、日本人の精神科医を自称して私の前に出てきたヒト達の中には、「見ても分からない」、というよりは、患者を良くできないというヒト達も居ました。しかし、処方された医薬品を服薬して自分の体の調子を整えるもしくはコントロールするのは患者ですから(精神病患者というのは最低限それはできるということです、そうでなければ危篤状態であるということでしょう。お分かりになりますでしょうか?場合により精神科医は殺してきますよ。)、精神科医というカテゴリーを考えた場合、私はこのような説明を行います。
西暦2020年10月27日、ハートフル川崎病院の女性職員に電話で「病院は通常通り営業しているか?」と問うたらば、「西暦2020年10月12日より通常通り営業している」との答えが返ってきたので、「今週の土曜日の10月31日にそちらへ伺う予定である」と告げた。(14:35 2020/10/28)
後、西暦2020年10月31日ハートフル川崎病院へと通院。主だった異常は無し。ハートフル川崎病院というのはそういう所という意味。川村和正Dr.の診察そのものについて、いつもと変わらず良好。
西暦2020年10月28日16時前後、外出。宮前平中学校北西部交差点南西部にて信号待ちのところ、同交差点北東部におそらくは中学生のものと思われる上に白シャツ下に黒のズボンやスカートをはいた年の程10代前半であると思われる子供の10人から20人程度の集団が待機していた。歩行者用信号が青になり私が同交差点北西部へと横断歩道を歩行すると同集団の成員がその私の真右前方から真右あたりにさしかかったところでギャーギャー何かをわめきだした、私は耳栓をしていたので何を言っていたかは不明。(21:18 2020/10/28)
少し前のこと。スタジャンだかスカジャンだか、あの、ジャンパーあるでしょ?あれを着たおそらくは年の程30弱であると思われる若さげな男、こちらに対して公道上で挑発的合図をしてきた(当然私はそれを無視した)。人様のファッションにケチを付けるつもりは無いが、その行為については貴様年幾つだと言いたくなる。
ちょっと笑えるのは、上記の文章をタイプしている途中、こちらが「年」と打つつもりで「都市」とWINDOWS10の予測変換で出て来たが、ご老齢の方々をいたずらに侮辱するのではなく、田舎だろうが都市部だろうが社会から引退すべき者は社会から引退すべきであるということ。
事あるごとにドンガンドンガンと鳴らされる自宅マンション階下遠方からのものと思われるたまに衝撃を伴った衝撃音であるところの騒音について、非常に迷惑している。こちらの行動についてピンポイントで狙ってくるが、こちらの行動の属性に対してランダマイズドされているところのもの、詳しくは過去の記事を参照。マンションの建物が破壊されているというのであれば、明らかに損害を受けている。
上記の文章をタイプし終わったら、建物屋内からの騒音が露骨に建物屋外からの騒音に変わった。ご苦労さんだよね。これは、現在マンションの大規模修繕工事が為されているが、それに伴う騒音のことではない。ちなみに、以前にも書いたが、私は露骨に生物であるヒトをマンガにおける描写の様に操作する能力は持っていない。
私がネットで行っていることは商業出版物の出版ではないので、そのように「見せ付けている」ものではなく、第三者の内暴力団関係者から因縁を付けられる筋合いは無い。私が自分の身を守る為にこのようなことを書けば、商業関係者も迷惑するものであって、それが連中の狙いでもある。
どういったヒトビトを私がそれであると見做しているかということにもよるが、ハッカー、クラッカー、ストーカー、その他様々な犯罪行為に及ぶところのものすべてという意味での暴力団関係者、あんな奴らはあんな奴らなので。連中は自分らの加害犯罪の被害者をあろうことか被問題視呼ばわりするわけである。そうやって汎社会的な観点からして非生産的に自分らの社会的立ち位置を確保して甘い汁をすするという放火魔が何時の時代も社会を混乱に陥れ戦争の火種を作ってきた。普通のヒトは理性や良識を持ち合わせているものであり善悪の分別も付く。ゴミはゴミであり社会のクズは社会のクズであるということ。そして自分らが具体性を持つ批判を為されて都合が悪くなると連中はすぐヘイトスピーチだのヘイトクライムだのと喚きだす、実際ヘイトスピーチやヘイトクライムというものはあるがそのようなものは具体的に取り締まれば良いものであり、何がどうであるかというと、それは連中が携わっているものがヘイトに関するものである場合が殆どということである。
客体における不本意な客体に対する干渉を認知行動療法とは呼ばせない。不必要な情報が、トラウマに関する記憶となって、余計に、というよりは、ひたすら(患者において)トラウマタイズされていくだけなので。危害は危害、ダメなものはダメ。自分の健康を(故意に)害することが社会に貢献することである訳はないので、これはハッピーだとかハッピーではないとかそういうことに関する問題ではない。社会資本形成上本位的にそういったことが行われているというのであれば、そういう連中が携わるのはそれだけの社会だということ。
「memo35」というタイトルの記事その他を参照されると良いかもしれません。
カンファレンスということで、ちょっと。竜頭万里子さんの「究極のエニアグラム」の、タイプ7は「防御タイプ」、タイプ3は「調和タイプ」、タイプ8は「(世界に対して(?))否定タイプ」、タイプ5は「世界を見切りたい」、タイプ6は「調和タイプ」、タイプ9は「調和タイプ」。
ヒトは神の身姿に真似て同じ様につくられてはいない。レイシズムが異常であるのと同じくして完全努力偏重も異常である。だいたい、特に多神教や偶像崇拝のその如何とは別問題として、神に身姿があるというのがおかしい。
もちろん、「居ない方が良いヒトが居る」というのには私は反対である。私はレイシズムには加担しない。しかし、明らかに行わない方が良い事というのはある。人類の歴史が形成されるにおいてその事実は社会的役割を付随させているかもしれないが、ナチスによるホロコーストが是認され得るか?ということについては明らかに万人がそれは無い方が良かったと述べるであろう。
被教育と教育は違う。生まれてから被教育によって為されてゆく自由の伸びしろは教育によって埋め合わされていくべきであろう。前者はスターリン支配下における「旧態依然とした社会主義」の表象であり共産主義(政党としての共産党を否定しているのではない)やナチズムの現時下である。