最近専らSTEM(Science, Technology, Engineering, and Mathematics)の教育が取り沙汰されています。
参考までに。今もあるのか分かりませんが、心理学でMBTIというのがありますよね。これにおいて、主なものとして、4項目ある診断基準の内、最初のIntuition型(以下I型)かSense型かという分類において、私Shinpei Sugiura(杉浦真平)はI型です。
余談ですが、私はそういう子供だったということなんですけど、おそらくですよ、I型の子供に必要なのはともかく取り組ませることです。おそらく、I型には「安ずるより産むがやすし」なところがあり邪魔を非常に嫌う、という子供が多そうです。
ところで、今の子供たち、場合により、「自分の身は自分で守る」ということを学校で教わっているらしいのですね。確かに、生きていく上での基本スタンスとしてはそうでありきと言うことが出来るかとは思いますが、特定一個人の能力では防ぎきれない災禍というのもあるのですね。そういうものと遭遇した場合にどう特定の社会に所属する人々で力を合わせて対処していくかということも子供の内から学んで損は無いと思われます。例えば、天災に遭遇した場合に、様々な局面において助けてくれるヒト達がいらっしゃいますよね?そういった人々の行動原理は何か、ということです。(西暦2022年3月25日11時50分記載)
説明の便宜上竜頭万里子さんの「究極のエニアグラム」をまた引き合いに出しますが、「memo61」というタイトルの記事でタイプ2とタイプ1の違いについてはある程度書いてるんですけど、全共闘教育で植え付けられるものをどのように特定の彼らがひたすら嫌うかというと、それはタイプ2的なものをということなのですね。タイプ1やタイプ6はその限りではありません。ここから大いに学んでいただきたいということです。私Shinpei Sugiura(杉浦真平)は、タイプ4w3ですが、あまりタイプ2のヒトたちと折り合いが悪くありません。わりと平然すんなりと彼らとは付き合っていけます。あまり彼らのことをウザいと思うことはありません。これはある種免疫じみた抵抗力があるからです。対タイプ2ということだけではなく、そういうある種の抵抗力の無いヒトたちを「弱い」の一言で片づけて臭いものにフタをする的な問題解決方法が是認されるというのはちょっとどうかなと思います。……私は、タイプ2だったらタイプ3やタイプ7の方にあまり好きではないヒトが多いです。彼らは、やはり、「如何にして女を得るか」の世界の住人であることがありありと分かります。その段階からして私は彼らを好きではないという始まり方です。私は自分と同じタイプ4にすらあまり好きにはなれないヒトが居たりします。タイプ8は、竜頭万里子さんは「圧倒的なカリスマを放つ」と表現しておられましたが、大人タイプなので、「人において悪とは何か」ということを考えるにおいて(「memo44」というタイトルの記事その他を参照していただけると幸いです)彼らの行動が理解しやすかったりします。既に女を得ており、それでもってして、女は魔性の生き物である、という世界に生きるヒトビトです。(西暦2022年3月25日11時50分記載)
原理を知ることで、当該の人々を一歩離れて鑑みることが出来るようになります。特に、タイプ2の場合、竜頭万里子さんはその欠点をして「なれなれしい」とお書きになっておられましたが。親和力が非常に強いのですね。だから、私はこの限りではないのでちょっとよく存じませんけれども、人によっては、「丸め込まれる~!」という様な認識に絡め取られる方もいらっしゃるのかもしれません。彼らは自己肯定感に溢れています。そのタイプ2を客体視するヒトのタイプ(タイプ2(自身)含む)にかかわらず、主体性の喪失に繋がると言うとちょっと語弊があるかもしれませんが、それを回避する為に、まずは相手を知ることから始めようよ、ということです。これはタイプ2的な親和力とはアンチするでしょう。対象と短絡直結してしまっているのが彼らです。誰しも他人に物事をしつけられたらうっとおしいですよね?(例えば、精神科医の旨は対処療法ですから、「ハイ薬を飲んで、ハイ終わり」というのが彼らの基本スタンスです。一部の精神科医に顕著なのですが、「自分たち」が健常であることをやたらとアピールするという連中が居ます。抗精神病薬という薬物自体が「究極のエニアグラム」のタイプ2の権化の様なものなのですが、そりゃ自分たちは抗精神病薬当該として「健常」に決まっているわな、という問題です。我々タイプ4の様な者にとって、何がうっとおしいのかと言えば、(竜頭万里子さん曰くの「掛け値の無い自分」にもよりますが)貴殿がうっとおしいということです。これは、上記の通り、「ヒト」に該当するわけではありません。これは上記免疫力と関係がありますが、我々も人間関係とはそういうものであるということを子供の頃から(ある程度は)学習しています。)(西暦2022年3月26日15時41分記載)
例えば、国を相手取った訴訟で、国の責任を認めないという裁判所の判断について、「国民を馬鹿にしている」「現実を見ていない」という主張がある場合、確かにそれらについて(社会運営上)同意できるものである場合でも、法規概念上(?、私は法律に疎くこういった言い方しかできず申し訳無い)そういった判例を残してしまうとまずいという、ちょっと嫌味っぽい言い方ではありますが、法曹界ならではの判断があるという事ではないでしょうか。だから、国の側も原告の側もどちらもということです、社会運営上というのならば。…ここから、法律の具体的な知識についての必要も出てきます。「まずは知ることから始めようよ」というのはこの線において妥当でしょう。judgementの存在意義が「被される」場合、ヒトが社会を形成する以上そういうことではないでしょうか。ナルシストの男性精神科医が女性患者に対して「(あなたと)結婚したい」と申告した場合、彼が法治圏外でない場合捕まってしまいますが、もし彼が嘘を吐いていない場合、我々はどう対処すればよいのでしょうか?少なくともここで云われる「ナルシスト」というレッテルは取り去られるはずでしょう。(西暦2022年6月18日14時10分5秒記載)