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    <title>ß</title>
    <description></description>
    <link>https://ssss1.blog.shinobi.jp/</link>
    <language>ja</language>
    <copyright>Copyright (C) NINJATOOLS ALL RIGHTS RESERVED.</copyright>

    <item>
      <title>memo75 +α</title>
      <description>もう書いた文章をネットにupするまいとは思ったのですが&amp;hellip;&amp;hellip;&lt;br /&gt;
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私Shinpei Sugiura（杉浦真平）は、&lt;br /&gt;
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西暦2023年3月16日から西暦2023年4月14日にかけて帝京大学医学部附属溝口病院に入院していました。&lt;br /&gt;
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同院の医療従事者の方々ならびに初見で診察をして下さった自宅近くのクリニックの医師の先生におかれましては、この場にて厚く御礼を申し上げます。&lt;br /&gt;
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以下にupする手記は、私Shinpei Sugiura（杉浦真平）によって入院中に手書きで書かれたものです。私がupしているこれらブログ内の文章は、ところどころ手書きの文章が元ネタになっているものがありますが、その場合でも手書き率は50%～80%くらいです。以下の文章に関しては、手書き率が97%～98%くらいです。私の場合手書きだとだいたいこうなりますよといういい見本かと思われます。プロットは若干変えてありますが、記述された年月日を（最初の方のものを除いて）正確に記載してあるので、これについては問題は無いかと思われます。&lt;br /&gt;
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&quot;distrust and verify&quot;&amp;nbsp; by Mike Pompeo　（西暦2023年3月中旬の産経新聞の記事より）&lt;br /&gt;
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手記0。（西暦2023年3月中旬記述）
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日々、様々な考えや思いが浮かんでくるが、それについての能動自体の反動で散発的にオーバードリヴンされたそれに支配されるようでもある。その場合、自分の自覚意識的な思考というものとは別なので、それは非常に苦しく不快なものとなる。出てくる答えは、もちろん、滅茶苦茶である。まるで、それ自体が、自分にまつわる「正覚（せいかく）な」答えであるかの様に、思い込まなければいけない義務錯覚的なものというのも存在する。（これは、精神医学で言うところの、「念慮」の一であろう）。これは、つまびらやかな勃興という形で私の中に存するが、その下地とでも云うべきものは恒常的である。これは、今回、抗精神病薬をしばらく断薬していたとか、再び服薬し始めたとか、そういったことに関する事ではなく、以前（数年前）からあったものである。一部、それを当該的にもたらす抗精神病薬の様な薬物もある。&lt;br /&gt;
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肉体が健常であればある程、三度の食事も美味くなる。私個人はあまり朝食というものを好まないが、朝食も充分に美味い。三度の食事の為に働くという（おそらくはごく当たり前の）発想は、健常者のそれであると、最近、私は、考えるようになった。「おいしいごはん」はどうか分からぬが、「ごはんがおいしい」というのは健康の証であろう。どころで、前者は（社会的に）若干嫌味なニュアンスのある表現である。糖尿病患者の身で、私は、好きなものをたらふく食っていた分際の者として、そのことは明確に理解出来る。病院の食事は実に美味い。というのは、元々母親の作る食事があまり美味くなくて、私は給食の類が好きであったというのがあるが、病んだ体に適したという形での美味を与えてくれるという事の有難さが、特に今の、私には、よく分かるからである。&amp;hellip;他者からの攻撃を受け、社会には明らかに悪質な人間も存在するという事を知った現在では（私が遭った目は相当酷いものである）、善良な人々や人と人とが助け合うことの大切さが身に染みてよく分かるものである。私は、もはや、医療従事者の人々には、自分の身体を診てもらえぬものと覚悟を決めていた。確かに精神医療の現場は酷く、問題が多々存在するものである。しかし、一義的に物事が断決されて良いものではない。看護師の人たちの、献身的な態度や物事への対し方を見ていると（少々言い方に問題があるかもしれないが、上下両方に対する、ということである）、それは容易に理解出来るものである。医師と患者の間を取り結ぶのは簡単ではない。精神科医らと、精神病患者として相対し、時には戦ってきた私にはそれはよく分かる。彼らは、どうしても患者において、「辛さの厭世主義」を誘発してくる。これが、「「強さの厭世主義」という勘違い」へと化けることが非常に危険なのだが、それを、医学的そして生物学的に「本当のこと」を提示することによって、患者をその様な態から救ってくれるのが看護師の人々である。&lt;/div&gt;
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確かに、私Shinpei Sugiura（杉浦真平）の親族に（幸いにもその人物とは血はつながっていない）私に対して攻撃をしてくるおぞましい女も居る。その人物から、医療従事者の人々がどれだけ私の身を守ってくれたか分からない。「甘いもの」を接種することで、どれだけ存在が汚されるかということである。私の敵方（例えば前述の親族の女）は、その様に私を攻撃してくる。それは、看護師や医師の人々の親切さとは類を異にする。これは、「サタンにおける憎悪の帳」と「本物になると考えるだけになる哲学者のその思考」との違いの様なものである。&lt;br /&gt;
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手記2。（西暦2023年3月中旬記述）&lt;br /&gt;
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これら文章も、crash to createの繰り返しとは云わぬが、私の破壊衝動の様なものを原理として書かれているのかもしれぬ。私は精神科医ではないし、精神医学に関する専門的な知識も殆ど無いが、その辺りのことは、漠然とした感慨ではなく、理屈上理解出来るものである。例えば、自分が自分の母親から生まれてしまったという事実を私はいたずらに否定する気は無い。しかし、赤子の（だった）自分のおぞましさや自らにまつわる苦しみの様なものから目を逸らすことは出来ない。生の鼓動で命がつむがれていくというのであれば、それは私にとっては少々辛いものである。死（へ）の欲動は精神の分裂をもたらす。「その」状態の方が、私にとっては、残念ながら、楽な様である。只、これは錯覚かもしれぬ。精神科医はきっとこう言うだろう、「大丈夫、あなたは必ず良くなる」、と。もちろん私はとうに成長期は過ぎているが、時を経るという意味で、ヒトが生育するという過程において、教育と被教育は違うということが出来る。被教育による自由の伸びしろは教育によって埋め合わされていくべきだろう。教育とは未来の産物かもしれぬ。
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ところで、私は齢四十過ぎの中年男である。その現在になって、自由とは何かということを説明する理はあっても、気概は持たぬ。ふしだらなものを排除し、自己を統制するべくのある種の社会参画意欲は、当然もはや習慣として身に付いている。人生幾つになっても勉強というのは（その様に）然るべきものである。&amp;hellip;&quot;death education&quot;という場合、教育が未来の産物であるとは限らぬ。それを牛耳るのは（物理的な）強制収容所の管理者ではない。&amp;hellip;&amp;hellip;それは、既に私とともにある。物理的な事物の表象がそれの代替物であるわけではない。認識論めいたことを言っても（この）問題の解決にはならぬかもしれぬ。「問題の解決にはならぬ」というのは、教育が未来の産物ではないということである。そこには、自らの亜種が（恐ろしくも場合により自覚的に）立ち上がるであろう。&lt;br /&gt;
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手記4。（西暦2023年3月21日記述）&lt;br /&gt;
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自らを擬態するとは何か。例えば、私Shinpei Sugiura（杉浦真平）は、自分の日常生活における食生活の改善の余地の具体的内容など、他に書くべきことは幾らでもあることを理解している。にもかかわらず、こういうことを書く。&amp;hellip;私は自分で自分を擬態している。それを虚飾であるという人も居るが、擬態、それも自分で自分を擬態するということと、虚飾とは違う。確かに、私は、自己顕示欲は殆ど無いが、虚栄心は強い。この文章の羅列（させること）自体も、一種のvanity fairであるということだろう。私は、太宰治氏の小説はあまり好きではないし、フランス文学に造旨が深いわけでもない。ここで、「フランス文学といったって色々ある」という一般的アカデミズムの見解は採用されない。他人を擬態し出したらば人は終わりであり、それは正に左翼全共闘の世界である。「他人の中に自分を見るな」ということである。&lt;br /&gt;
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手記5。（西暦2023年3月22日記述）&lt;br /&gt;
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西暦2023年3月16日の夕方より、帝京大学医学部附属溝口病院に入院している。病院内で出る食事は実に美味い。有難い限りである。血糖値も、昨夜は、87を記録し、ここ一週間で大分症状も良くなった様である。右足の患部は、まだ若干痛むが、炎症反応の数値も下がり、大分落ち着いてきた。&lt;br /&gt;
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食事は全て頂いているが、ところで、やはり、肉や魚や卵を食べるにあたって、罪深さを感じないわけではない。美味しく調理されたそれらを頂戴するとなると、事は特別である。特にこれは、その食事を作ってくれる調理師の人たちやメニューを考えてくれる管理栄養士の人たちへの文句では全く無い。彼らに対しては感謝の念しか無い。只、私Shinpei Sugiura（杉浦真平）個人の信条が間違っているとは考えない。生まれついた肉体の歪みに因る苦しみを患っている私には、畜肉にされる家畜の苦しみがよく分かるつもりである。大体、「家畜」という（日本語における）言い方がどうかと思われる。英語では、&quot;live stock&quot;である。ものの命を、自らが生きる為に頂くという、その原理的倫理性があらわれているのは明らかに後者である。このことには、もちろん、キリスト教徒的な価値意識が根付いている。彼らは、（生物として動物性の栄養を必要とするにあたって）どう自分以外の生き物に対するかということをよくよく考えている。由来としては、多極的に偶発的かもしれないが、「いただきます」「ごちそうさま」といった挨拶の礼儀作法や、「天にまします我らの神よ&amp;hellip;（食事を与えていただきありがとうございます）」という感謝の礼示（というおそらく一つのものの考え方）は、そういったことに基づくものだろう。「食うか食われるか」などといったものは、狩猟民族的な戦場の生き物のそれである。彼らは、食前食後の挨拶など度外視である。彼らには、人々が（ヒトが）神概念を抱く以前の生き物としての名残りがある。彼らは、動物的に見えるかもしれないが、決して狼（など）ではない。神概念そのものが（儀）礼的であるということも出来るだろう。それは、（ある種のヒエラルキー的な？）社会構造そのものを「社会的に」（人々の（ヒトの）間に）喚起させる。ニーチェは、「強さの厭世主義というのはあるのか？」といった様なことを言ったが、それに至る経緯はどうあれ、彼は（おそらく）戦場の生き物である。もちろん、厭世は厭世であり、世にはばかり知れぬということである。彼らは、人を「食って」いる。タナトスが精神の分裂をもたらさないという詭弁は人を「食ってる」輩の一種のavariceである。義化された欲望の産物によって、（彼らは）「神によって盲目をもってして（その様な）罰を喰らっている」。シラーは、その文学作品「群盗」で、それを「豚の群れ」と表現したが、神の無い人間のあわれさには過去多くの知識人が言及している。確かに、現代の新興宗教にしばしば見られる様に、邪教というのはあるが、少なくともこの二千年、ヒトを現態の様に進化させたということにおいて、宗教というものの役割は大きい。ジャン・カルヴァンがそれを為そうとした様な（に）、生活までが教義化されるということにおいて、現代社会ではその役割は薄らいでいるかもしれないが、「根差す生き物」としてのヒトは、その意味で（は）「土から離れては生きられない」。様々な代替物が現れ、品を変えながら人々はそれ（ら）に頼り生きて来たが、ともかくも、「神は最初に天と地をつくった」。別に、天と地はversusな関係でもなければ、天と地は互いのパートナーでもない。神というものが人にとってどういうものであるか考えればおのずと答えは出てくるはずである。&amp;hellip;特に女性にはよく分かるはずである。人への感謝というものが、どういったところから湧き出で、とういったものであるか。私には、愛というものを例えば具体的に語れといわれても難しい。しかし、愛し合う人々がどういった様であるか見ていればそのあたりのことは大体分かるものである。もしかしたら、彼らの中には、見ているだけの私を嫌う人も居るかもしれない。しかし、物事の具象性を超えたところにそれは存し、私もまた社会の一員である。弱さは罪であるということが出来るだろう。それは厭世を招くからである。生物学的な抵抗体力の強さ（弱さ）もそれに含まれるだろう。「神の国へ&amp;hellip;」といった場合、ヒトはどういった生物に進化しているだろうか？既存の我々の常識が全く通用しない知的生命体の存在（の可能性）ということについても考えておいた方が良いだろう。例えば、1+1が13になるところに存している知的生命体の存在等。&amp;hellip;「ヒトが生きている」ということの変逸が、ものを考える場合の何かを（として）あらわす（あらわれる）ことになるだろう。「その様には」、私は、考えていないからである。人間中心主義が、知的生命体としてのヒトの知能に帰順するとは、私は言わない。それは、現態からの出発に過ぎない。知というものを逸した知というもののその変逸（それもまた前と同義ではあるのだが）がコスモスと出るかカオスと出るか、戦場の生き物には（では）分からないだろう。&amp;hellip;普通は（我々の一般常識的に考えて）分からない。（しかし）、「戦うことは悪ですか」と問われた場合、少なくともヒトとヒトとのコミュニケーション上の問題として、それを挑発と捉えるのは愚かである。つまり、そこへ来て、愚かさの概念は残っている。サタンは自らの内にあるものであり、「汝自身を知れ！」&lt;br /&gt;
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手記6。（西暦2023年3月24日記述）&lt;br /&gt;
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医学やそれに基づく医療技術の力は偉大である。私は自分の無能さに呆れるばかりである。これについて、一体私に何が出来るかというと、文章を書くことくらいである。クランケとして、医療上のデータを医療従事者の人々に提供することは出来るが、それが彼らにとって役立つものであるとは限らない。ちなみに、しかも、それは私Shinpei Sugiura（杉浦真平）の能動的行為によって為されるのではない。確かに、医療の現場における患者当人の自らの病気を治そうとする能動性に基づく（自発的）行為は、医療従事者に対する医療上のデータとしてカウントされているかもしれないが、それが努力偏重義務的観念に起因している時点で、データとしての妥当性がそれに存するかどうかには疑問符が付く。それは、もはや、「単元的」ではなく、「目的概化」している。戦場の生き物に関するデータはそれとして役に立たないというと語弊があるかもしれないが、彼らは（その意味で）「見せて」いる。彼らは、「目的概化」にまつわって、修正を要求している。つまり、（それは）、社会的な死荷重ということである。彼らのその「見せる」行為は、少なくとも医学的治療上、医療従事者にとって、役に立たないということである。スポーツ競技等の世界であれば、問題として別かもしれないが、（先述の）努力偏重義務的観念は自己破滅的に自己破壊をもたらすだけである。特に精神医学の世界で鑑みられる様に見受けられるが、医療従事者はそれをそれとして採用しないだろう。（よって）、それは、（彼らにおける）自虐でしかない。&lt;br /&gt;
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手記7。（西暦2023年3月24日記述）&lt;br /&gt;
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私はこれら文章を徒然なるままに書いている。また、私には言行不一致もある。私はそう（いう意味で）「完璧な」性格ではない。しかし、精神科医は、そこを私の精神病質として突いてくる、という側面も（精神医療には）ある様である。&amp;hellip;「言葉に気を付けろ」とか「行動に気を付けろ」とかいったことであろう。&amp;hellip;&amp;hellip;しかし、私見でも、確かに、出来の良い文章とそうでない文章というのは、私Shinpei Sugiura（杉浦真平）が書いたものの内どちらもある様である（私が書いたものの内には適当にすらすらと書かれたものもあるということで（も）ある）。精神科医は故意ということを認めないのであろうか？という問いは愚問であろう。彼らは、患者が「無理をする」という表現をしばしば使うが、それが自覚意識的であろうが非自覚意識的であろうが、それは自己破壊衝動の産物であると考えるべきものの様である。例えば、「面白いことを言わなければならない心理の不健全さ」について語っている人は居るが、そこで、もちろん、私は、つまらないレクリエーションで会話をさせられる等の事を認めない。精神科医は、「そこを」患者を型にはめようとしてくるのであり、残念ながら、その様な医療行為は迷惑千万でありお断りである。そこのところの自立性は私は持ち合わせており、そこまで宗教の教義の如く干渉される筋合いは無い。ある程度型にはまることは（人々が）社会生活を送る上で重要かもしれないが、型にはめることはそうではない。つまり、能動の主体がクランケであれアルツトであれ、型にはめるという行為は、対象の「社会的な」社会構造化である（に過ぎない）。&amp;hellip;それは、神と人々とを切り離す行いだろう。確かに自由には責任が伴うが、責任の無い自由も無ければ、責任のみの責任も無い。精神科医が、精神病患者がそうであることについて、責任を取るか？（精神医学の定義によれば）精神科医はその責任を取りたくても取れまい。彼ら精神科医にも自由意思（自由意志）がある限りにおいて、自由の概念は存するはずである。クランケとアルツトという関係において、精神科医だけが神と共にある「社会人」であり患者は神の無い「非社会人」であるなどということがあろうか。それでは精神科医が（そうであるにもかかわらず）人種差別主義者であるということになってしまう。そして、それは、科学者における科学的態度というものとは逆を為しているだろう。彼らは新規な科学的事実を無視するか？無視しない。そういうことである。&lt;br /&gt;
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手記8。（西暦2023年3月25日記述）&lt;br /&gt;
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自らの衝動をコントロールするのが下手なのは、私Shinpei Sugiura（杉浦真平）の致命的な欠点である。それは、癖などと言えばまだ聞こえは良いが、物事における愚鈍なこだわりだったり、酷い場合は日常生活における何らかの支障だったりするだろう。脳内で自らを鈍化させるその「物語」は、おそらく唯名「統合失調」であらわされる。自己強化を含めて、それを何らかの形「に」昇華させることが出来れば良いが、悪魔の誘惑にはそう勝てるものではない。自分の中の悪魔と格闘するにおいて、虚無主義的な社会構造との闘争ということがある。社会は法廷ではなく、もし社会が法廷であるというのならば、（物理的な）法廷など必要あるまい。ナチスにおける虚無主義とは、アドルフ・ヒトラー一人のことではない。「だから」、ヒトラーは全てを破壊へと導いたのである。ヒトにおける憎悪を解放した挙句、ハーケンクロイツは戦場そのものであった。ハーケンクロイツの紋章は、ヒトにおける憎悪を（象徴もしくはそれを形而下へおろした形で）汎社会化したものであった。ナチス第三帝国において、社会の本質は戦場であった。BerlinがGermaniaと改称されて為されるアドルフ・ヒトラーの「千年帝国」の夢が具現化される限りでは良かったかもしれないが、現実はそうではなく、外部においては戦争、内部においては廃墟の製造という只それだけのものであった。外部性の内部化などと云えば聞こえは良いが、実際に行われていたのは、物理的にも非物理的にも国家国土を破壊するという只それだけのものであった。歴史的事実としてのナチスが行った事というのは、（逆説的に）内部性の外部化であり、そこでは、crash to createの繰り返しが現象している。ナチスのナチスである由縁が「それ」を招いたのである。もし、&quot;Mein Kampf&quot;（「わが闘争」）ではなく、「真に」外部性の内部化が執り行われていたらば、ヒトラー少年の夢も叶ったかもしれない。ヒトラーの行動原理は、人々を云わばないがしろにすることであった。人々が居るが故に、ナチスにおける虚無主義的なエネルギーによって、人々は疲弊し、廃墟の製造が招かれたのであった。&amp;hellip;人々が居るが故に人々が疲弊する？それは、まさに、民主主義の本質（の様）ではないか？「二度とやるな」とは、ナチスが残した教訓であるが、歴史的事実の上に歴史的事実は積み重ねられ、もちろん、現代の「民主主義」社会も跡を引いている。歴史学者のE・H・カーは、「歴史は科学だ！」という様な内容のことを言っているが、ダイナミックな歴史のうねりの中で、「それ」は生き物の様に存在している。judgementの存在意義が「被される」場合、人が社会を形成する以上、そういうことではないか。&lt;br /&gt;
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手記9。（西暦2023年3月26日記述）&lt;br /&gt;
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ヒトにおける問題は、結局、人間関係のそれに帰着するという主張をする人間達も居るが、彼らにとっては、科学技術の進歩や流布そして社会制度の進展は努力偏重の産物でしかないという事である。彼らは、何かを勘違いしている。確かに、人間関係における成功は結婚という「ゴールイン」をはじめとしてヒトの幸せの一義かもしれない。しかし、「（手練手管によって）得られた」ものが、果たして、ヒトに幸せをもたらすものであろうか。支配の先の夢はそう甘いものではない。&amp;hellip;&amp;hellip;「死を思え」とは、むしろ、ヒトラーに対する教訓ではなかったか。&quot;Better watch yourself.&quot;と云っても彼には通じなかった様である。ちなみに、私は、精神医学上のそれの定義については殆ど知らないが、一人だけ「ヒトラーは演技性人格障害」と言った精神科医を知っている。
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私Shinpei Sugiura（杉浦真平）は、おそらく、他人に比べて、差別心はあまり強くないが、偏見が強い。差別（discrimination）と偏見（prejudice）との違いは、自己攻撃（解釈により他己防衛）と自己防衛との違いと同義だろう。つまり、人間関係ということにおいて、偏見が私においてはものの何たるかであり第一義なのである。（私において）偏見は「そのように」採用されている。私という媒体において、もしくは、私を媒体として、偏見が取り去られる時、人間関係学も終わりを告げるだろう。具体的な人間関係という場合、私はヒトとヒトとのコミュニケーションにおける機微でそれを構築していくような人間だった。いわゆる「空気を読む」ということは、そういったことにおいて、最も私の得意とするところであった。しかし、ある時、それは人として間違っているのではないかということを思い、物事について（ある程度）考える様になった。精神科医は、ともかくも、精神医学を執り扱っている限りにおいて、そして私個人の利得と相まって、（その）人間関係学を終わらせたい（彼らにおいては、自分達が巻き込まれたくないという側面もあるだろう）。偏見は私の一部だろうが、私と人間関係学は同値ではない。その（「場合による」）故意を精神科医は認めない。&lt;/div&gt;
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手記10。（西暦2023年3月27日記述）&lt;/div&gt;
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「今を生きる」ということが、（文学的に）人にとってどういった意味を持つか。私は、もちろん、強制収容所の管理者ではない。しかし、そして、「死を思え」とは、ヒトラー少年に対する教訓ではなかったか。アドルフ・ヒトラーにおいては、大過去が目の前のものとして現象しており世界はバラバラである。彼はカオスを抱いていた。自己（同一性）を喪失した挙句、彼は不確定性をひたすら排除しようとした。対象における妥当性を是認するか是認せぬかという瀬戸際のところで、ヒトラーにおいては自己が是認の対象ではなかった。悪への自由と云えば聞こえは良いが、招かれたものは周知の通りである。「自由からの逃避」という場合、彼自身が不確定であった。悪というのはそういうものであり、ヒトラーは自分を見誤った。彼は自身を「総統」と呼称したのはそういうこともある。「総統」ではないが故に「総統」であるという、（その）虚無主義的な社会構造は、無政府主義的なヒトラー（個人）の崩壊過程と共にあった。基本艇に自分との戦いであり、まさに&quot;Mein Kampf&quot;（「わが闘争」）というわけである。&amp;hellip;破壊衝動が内向きだとか破壊衝動が外向きだとか言ってもそれらのその意味内容は私には理解出来るが、（学術的な）専門用語としてどう採用されているのか分からぬ故、この段でのそれへの言及は差し控えたい。経済学で「限界的（marginal）」と云う場合、自分の能力と履き違えられた限界生産性自体が「実存する」という言い方は出来るが。&lt;br /&gt;
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手記11。（西暦2023年3月28日記述）&lt;br /&gt;
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面白いことに、日本の精神科医は非常に政治色が強い。彼らは、患者における（「そのような」）政治色は絶対に認めない。それが治療上の方便であれば良いが、そうではない。彼らは彼らの話をしているに過ぎない。彼らは、彼らの見解が万国共通だと思い込んでいる。まさに、「死者の奢り」である。例えば、日本人の精神科医と日本人以外の精神科医では、特定の対象における異なった見解というものもあるだろう。これは、もちろん、精神科医というカテゴリーだけにとどまらず、人種の違いということもあるだろう。極論するならば、「我々は特定のカテゴリーを作って『やって』いるから（自分達の認知領域という意味で）こちらへ来い」と「認知が歪んでいる」者を連れ去ろうとする精神科医かとも考えられる。（確かに）、これは、教育（や被教育）と洗脳との区別が付かない者に顕著である。&quot;If I am brainwashed, I am brainwashed. I don't know.&quot;ということだが、&quot;distrust and verify&quot;とは、まさに、これに対する処方箋である。（その意味で）「今を生きて（は）いない」。&lt;br /&gt;
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「やはり女性には愛が必要なのか？」という（場合の）ことについて、何故私はこれについて被害妄想に絡め取られ易いのか分からない。これが分からないのが私の病気の由縁なのだろう。恐怖心に対する否定的見解を述べておきながら、実際自らにおける恐怖心が強いということは、物事に興味が無いと云えばそれまでだが、愛というものを信じたくても信じられぬということなのだろう。しかし、私は既に愛に没入している。だから、（私においては）統合失調症という具象化が為されているということなのだろう。そして、それ自体が（自体的に）病気なのである。確かに、精神科医が言う通り、私の認知は歪んでいる。何故、こう、例えば、彼らからのメッセージを素直に受け取れないのだか分からない。傷つくことを恐れているから？だから、ヒトを信用しないことに自分を依拠している。上記の「～、（その意味で）『今を生きて（は）いない』。」ということ自体をdistrustすれば、自ずと答えは出るだろう。&amp;hellip;私は、「その」確証が欲しいのである。それが馬鹿げたことであり自制すべきなのは理解している。只、慣用的に言えば、私は非常に憶病な人間である。最悪の状況を想定設定しそれを（それであると）確定させてしまえば（想定される）ダメージを短期的には最小限に抑えられる。しかし、それは、（中期的そして長期的には）自己を苛み蝕んでゆく。丁度、熱エネルギーによってタンパク質の組成が変化し、well doneとなるように。（その虚無主義的なものについて）「コロンブスの卵」を比喩として持ってくる必要は無い。それでは本末転倒である。アルゴリズム的思考が民主主義の雄であるとすれば、それは完全なアルゴリズムは存在しないということを示しているに過ぎない。スキゾフレニアという病気に真の治療がもたらされる時、真の民主主義も為されるかもしれない。&lt;br /&gt;
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手記12。（西暦2023年3月29日記述）
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「女性だから駄目」というのは、「女性を（だから）好き」というのと同義であろう。女性差別は女性崇拝と、コインの裏表、表裏一体の関係である。私Shinpei Sugiura（杉浦真平）は、「女集団を意識している」が、その自覚があるが故に、（その）セクシストの様に、女性の女性性に捕らわれる事は無い。セクシストでない女性は、異性にその様な目で自身が女性であることを第一義としては見られたくないはずである。つまり、彼女ら普通の女性達は、男性に対して、身をかわす。彼女らは、「女集団を意識している」。ヒトのメスは自らと同質なものを求めるが故、自覚意識的に「女集団を意識している」ヒトのオスと、その様な関係を、ヒトとして取り結ぶ。もちろん、そこにあるのは、パートナー関係ではない。セクシストの女性は、「男集団を意識している」が、同じく「男集団を意識している」セクシストの男性に対して、ヒトのメスは自らと同質なものを求めるが故、気を引き寄せつける様な行動を取る。セクシストの男性は、「男集団を意識している」が、（その）自覚意識のある個体は、自らの男性の男性性に捕らわれることは無い。彼ら彼女らにおいては、自身が、ヒトであること以前に、自身の性自認が第一義として来る。「セクシスト」という、彼ら彼女らに対する呼称は、決してセックスの行為にかまける（だけの）生き物という意味合いを持たせているのではない。性格という定義の精神医学上の位置付けについては私は知らぬが、私は彼らの素行を性格などという一連の定義に比準させる気は無い。彼らは、セクシストとしての（その）社会性を、特定のカテゴリー内に持ち込んだ、という事に過ぎない。欧米由来の男性原理的なものと云われるその主義は、生殖の本能にまつわるご都合主義でしかなかった。仮にそれが近似的なものであれ、社会が言語であるという場合、それは動態的であり、その「持ち込み」「持ち込ませ」が、自体的に社会（構造）的である。欧米人の言語使用性の高さは、虚無主義的な社会構造との闘争に基づくものであり、毒をもって毒を制すということにおいて、それは、例えば、音楽的ですらある。そこへ来て、表現の無い調べは、生物（学）的である。かつて、ノーベル物理学賞受賞者の湯川秀樹博士は、「貴方は何故生まれたのか？」と問われ、「自分の両親が性交したからだ」と答えたそうだが、そういったことを考えると、ヒトは社会から生物として生まれたのではないか？残念ながら、それは、私にとって少々辛いところの、虚無主義的な欲動でしかないが、（それは個人主義的であり）、セックスが最上のコミュニケーションと云われる由縁を考えると、そういうことだろう。男性は外へ出て働き、女性は家庭を守る、ということがそもそも是認されないことになる。男性原理や女性原理といったことが、そもそもの矛盾なのである。ジェンダーイクオリティといったものは、存在し得ないだろう。逆説的に、それが真の（に）ジェンダーイクオリティなのである。&lt;/div&gt;
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手記13,14。（西暦2023年3月31日記述、西暦2023年4月3日加筆）&lt;/div&gt;
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日本人ユダヤ人同起源説などということが云われているが、日本人の行動原理は基本的に嫉妬である。その意味でユダヤ人は伝統（主義）的である。種の起源という場合、ユダヤ人における血統維持において、それは日本人における人民総奴隷化と、コインの裏表、表裏一体の関係である。ヒトの集団の二義性ということにおいて、それはユダヤ人の行動原理や神概念と関係しているだろう。日本人の嫉妬（という行動原理）は、ヒトがヒトに帰順するにおける媒介変数に過ぎない。我々日本人においては、罪と罰の具象化が為されている。もし、我々が、その具現体であれば、救われ様が無いが、我々日本人（に）は先逸的に血統維持が為されており、例えば、我々が外界と隔てられた島国の住人であるということもその一つである。それが牢獄であったかどうかは私は知らぬ。しかし、少なくとも、歴史上はそうではない。その点、ユダヤ人が統合（regenerate）の世界に生きているのならば、日本人は分裂（degenerate）の世界に生きている。種の保存という場合、それはregenerateである。ヒトの集団の二義性ということにおいて、それは日本人の行動原理や皇統維持概念と関係しているだろう。その、regenerationとdegenerationの二面性が、（特には天皇制ということにまつわって）日本人において無尽蔵のエネルギーを生み出すのである。太平洋戦争は、良くも悪くも、それの具象化が為された一例である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
精神科医もそうだが、自分達の話をしているに過ぎない人々は、自らを牛乳商品の製造過程における様に均質化している。これは（特定の）対象の同質化とは違う。対象が対象として存在する時点で、それは均質化ではなく同質化である。例えば、不等号の問題を考えた場合、A＜Bという（不等）式において、均質化においては式が項と化している。ここでは、比較の原則において、不等号の存在が、Aという項とBという項の絶対を示しているはずである。ところが、式が項と化している場合、そこでは、相対が絶対と化している。そこでは、（均質であるが故に）Aという項の絶対性とBという項の絶対性が捨象されている。（自己）同一性の不認識という問題がここで立ち上がる。「違うが故に同じ」全体主義を、三島由紀夫氏は「戦時下における」という内容で表現した。もちろん、そのwell doneが出来上がったのは、実際、投下された二発の原子爆弾その他で出来上がった焦土としてである。既に為されている対象が、（自己）同一性として存在する場合、（世界は）分裂している。それは、アドルフ・ヒトラーの世界であり、未来は確約されている。その確約された未来というdegenerationが、人民総奴隷化が（は）避けられ「同じが故に違う」個人主義が為されるという意味で、regenerarionを招くのである。&lt;br /&gt;
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手記15。（西暦2023年4月8日記述、西暦2023年4月11日加筆）&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
目の前の現実を信じられなくなったら終わりである。物理的に近くに存する他者が盲目の闘将と化すのは時間の問題である。そこには、物事における、因果関係は存在せず相関関係は存在する。&amp;hellip;私が盲目？私は、「予め」世界を準備している訳では決して無い。もちろん、それは、「どれが現実なのか」という形容詞の世界ではなく、「どう現実なのか」という副詞の世界だろう。社会が言語であるという場合、はじめに言葉があった、ということだろう。「言葉」という表現が採られる場合、その多言語的多義性は「ただそれだけで」詩文学的である。言葉の世界に生きている人々が、文学である世界に生きているか文学でない世界に生きているかというのは、問いとして成り立たないだろう。「文学」だとか「問い」だとかいったものは、全て、過去完了形のメタファーである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
差し迫ったindifferenceの具象化が為されるには、例えば、経済学におけるindifference curve（無差別曲線）は、数学的手法によっては事は為され得ないという事において、事を単純化し過ぎているということであり、それは物事における蓋然性を滅却した数学的思考の副産物である。過去、哲学者達が視覚というものをどう扱ってきたかという問題があるらしいが、三島由紀夫氏が「楯の会」という唯名でサークルを組んでいたのは、（「見せている」のと「見られる」のがもちろん違うということありき）、（「本物になると考えるだけになる哲学者のその思考」を）「蓋然性」という言葉では表現することが出来なかったからではないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「es warという言葉を理解する様になる」と云った（言った）ニーチェは、皮肉にも、三島由紀夫氏の切腹（自殺？）を予言していたのではないか？具体的な法という場合、順法意識というものが付いてまわる。それは、具体的な法を制定する場合であろうが、具体的に法を違反する場合であろうが、同じである。ここで、「意識自体が無い」ということを、「順法意識」ということにまつわって考える場合、「法は社会の反映である」上で、社会概としての自己が死の表象として存在することになる。「内逸」という言葉を英語の&quot;jurisprudence&quot;という単語に訳出する場合、社会は「そう」現象する。カルヴァンやリシリューや果てはヒトラーやスターリンに至るまで、サイコパス的な具合にまつわる「それ」を、人々は殺し合いもしくは戦争と呼ぶ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
三島由紀夫氏は、「esの無い人」と呼ばれていたらしいが、彼の認知領域は死であった。その意味で、彼の行いは自殺ではない。彼は死ぬべくして死んだのである。しかし、そのこともまた彼（という死）の表象でしかない。故平岡公威氏と三島由紀夫氏は別個の存在ということである。神風特攻隊員が敵陣に頭から突っ込み爆発死するその瞬間の生命の輝きを、人々は見るのである。「あなたが死に携わっているのだ」ということを人々は知るべきだろう。&lt;br /&gt;
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手記16。（西暦2023年4月11日記述）&lt;br /&gt;
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ちょっと現実的な話。精神科医の患者私Shinpei Sugiura（杉浦真平）に関する扱いというのは、基本的に、まず、均質化である。私が精神科医に対して否定的見解を抱いている限りにおいて、彼らも私に対して否定的見解を抱く（というポーズをとる）。つまり、彼らは、患者である私を診察しない。しかし、彼らは、私が、彼らをコミュニケーションの対象としている限りにおいて、私とコミュニケーションを取る。つまり、彼らは、いくらでも私に対して診察室内で嘘を吐くし、場合により私を侮辱したり、私に対して危害を特定の医薬品の投薬や特定の暴力的手段を用いていくらでも加えてきたりする。彼らは、もちろん、法治圏外ではない。私の過去の経験から言うと、彼らは殺人罪では捕まっても傷害罪では捕まらないらしいが、ひたすら私刑という形で患者である私を裁こうとする。ここで、罪の重さという概念が出てくる。しかし、残念ながら、それが為されるのは法廷における公判によってのみである。先述の通り、社会が法廷であるというのならば、具体的な物理的法廷など必要無い。それが為されるのは、ナチス支配下におけるドイツの（様な）社会においてのみである。法律Aと法律Aではない法律Bが存在するとして、とある特定の個人が法律Aに違反したからといって無条件に法律Bにも違反しているという事にはならない。法廷が存在するという法Xが違反されている場合において、法廷が存在しないという法Yが違反されている事になるが、それは無条件降伏の世界である。&lt;/div&gt;</description> 
      <link>https://ssss1.blog.shinobi.jp/tagebuch/memo75%20-%CE%B1</link> 
    </item>
    <item>
      <title>memo75</title>
      <description>どうも。&lt;br /&gt;
ここはフォーマット上最後のメモ帳として使っていきます。新たなブログサイトを開設でもしない限りは。&lt;br /&gt;
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5日前の3月6日にCOVID-19のvaccineの第三回目の接種を受けました。今回は、一、二回目と違って、ファイザー製ではなくモデルナ製でした。3日程度注射の針を刺した部分の周りが軽く腫れましたが、全身各所の痛みが軽減される感じでとても快適です。まああくまでもそういった感じですけどね。相変わらず屋外や商業施設店舗内でマスクを着用していない不謹慎というか怪しいもしくは不審なヒトビトが観察される昨今ではございますが、これをご覧になっている皆様におかれましても、喫緊の接種をおすすめいたします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近は、体操などとり行っております。やっぱり健康第一というのは本当ですね。私は、どちらかというと運動音痴の部類ですが、正しいやり方で全身の筋肉が動かされると、心身共に調子が良くなります。私、脚の筋肉はかなり発達しているんですが、腕が女の細腕みたいなんですよね。腹筋や背筋やスクワットはまともに出来ますが、腕立て伏せが一回も出来ません。ちょっと尋常ではない程度でその様なので、おそらく遺伝的な先天的障害だと思われますが、自分に出来る範囲の事を行っております。やっぱり足を動かすのが気持ちが良いんですけどね。&lt;br /&gt;
というわけで、自分の肉体を少しずつ物理的に自宅の外へ出す頻度を増やそうかなと考えております。ノートブックやPCの前で物を考えたり音楽を聴いたりしているだけでは、肉体も精神もおかしくなることを避けられないかなとは思います。ただ、外へ出ると、例えば敬礼という形で何らかの合図（？）を送ってくれるありがたい人たちがいらっしゃる一方で、不良少年少女の如く明らさまに絡んでくる輩が居るので、ルート取りを考えないといけないのですよね。&lt;br /&gt;
まあボチボチやっていきます。&lt;br /&gt;
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&lt;div&gt;というか、目、ヤバい。近視と老眼と白内障のトリプルでキてます。PCの画面もロクに見えません。眼科でもらった目薬をさせばさすほど悪化していきます。失明しそうなんでその目薬についてはしばらく点眼を中止しています。私、右目が利き目なんですけど、その眼医者さん私の利き目が左目だと言うのですよね。もちろん自分の利き手は右（右利き）であり、自分の軸足は左脚です（ボールを蹴るのは右足です）。白内障も目薬をささずに放っておくと症状が緩和されていくのでちょっと本当にそうなんだか怪しいところです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;そもそも、もう医者に掛かることは無いと決め込んでいた私ですが、某理由により眼科を受信することになりました。あまり乗り気でなかったんですがね&amp;hellip;。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;結局、白内障の症状が軽く進行してきたので、出してもらった参天製薬の「ピレノキシン懸濁性点眼液0 0,05%」という目薬を日に3回から4回点眼しています。もう一種類出してもらったニットーというメーカーの「チモロールXE点眼液0.5%」という目薬も処方通り寝る前に1回点眼する予定です。いや、そもそもは言われた通りにさしてたんですがね&amp;hellip;。&lt;br /&gt;
後日、利き目が右目か左目かの測定がおかしいということで、再び測定してもらいました。で、そこの看護師さんにひたすら説き伏せられたんですけど、「いや、でも片目を隠して測定するやり方で左目がブレて右目はブレないというのは右目が利き目だってことでしょ？」と何度か言うとやっと測定されて（正常な状態なので左脚のふくらはぎに力が入ってます）、右目が利き目であるという測定結果が出ました。そのやり方なんですけど、目の前に両手で三角形を作って先にあるシンボルがどの様に見えるかというものです。というのは、後でもう一度測定してもらって、その時は体から右斜め前方にあるシンボルを対象に体を右斜めにズラして測定するというものでしたが（右脚のふくらはぎに力が入ってます）、左目が利き目と出たのですね。確かにその「様」に自分でも測定したらば右目がブレて左目がブレないという結果が出ました。結論から言うと、元来からの幼少期からの自分のものである右利き状態だと利き目は右になります。そうではない左利き状態だと利き目は左になります。ちなみに、その看護師さんには「『遠い』バージョンでやらせてもらいました」と言われたのですが、「『遠い』バージョン」ではなくて「『『右』斜め前』バージョン」の間違いでしょ？ということです。&amp;hellip;私Shinpei Sugiura（杉浦真平）が服薬している精神科で処方される抗精神病薬というのはどの種類のものも例外無く肉体をその状態で固める作用があるのですが（そもそも患者をその様に取り扱う目的で精神科医が出す薬物）、「そうではない左利き状態」というのはその様な薬物の作用でそうなってしまっているところのもののことです。聴覚を通しての攻撃や電磁波によるそれの存在があるかもしれません。身体感覚が二分されているんです（だから自らの利き目を右目状態と左目状態に変えられてしまう様なことが可能となってしまうということです）。その意味でも「分裂」なんですが、そこのところを精神科医が「統合失調症（旧名精神分裂病）」の唯名に当て付けてこじつけているのかどうかは私は知りません。これらのことはそこの眼科医の先生には申し上げてありますが、その先生がそれをカルテに記入したかどうかは私は知りません。私見では、精神科医が提示する正常な状態があり、患者側にしてみれば自らの肉体のバランスを保つ（において）正常な状態があるということなんですが、患者当該ではない精神科医が提示するものが果たして患者において「正常」であるのかという問題があるということです。&lt;br /&gt;
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報告を一つ。その一。（西暦2022年12月10日時点）&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
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&lt;div&gt;ハートフル川崎病院にも、最近、怪しげなサクラではない、普通の、というと妙ですけど、患者さんが戻り始めたみたいです。私Shinpei Sugiura（杉浦真平）が、西暦2017年の10月に倒れて入院した以前までの期間を災厄もしくは大崩壊以前とすると、その災厄もしくは大崩壊以前にくすぶっていた医師達とは少なくとも現在名前が掲示されている医師であるところの構成メンバーは入れ替わっています。（一部、旧経営陣や関係者や私の親族の犯罪者（私の実父や実母ではない）に私の自宅周辺にて絡んでくる連中が居ますが、この連中と（妙な言い方で申し訳無いですが）「現在の」ハートフル川崎病院の方々とは敵対関係にあるものと思われます）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
結論から言うと、私が現在掛かっている同院の川村和正医師は名医です。彼の治療を受け始めてから私の病状は的確に段階を踏んで良くなっています。仮に、如何に医学研究者として（だけ）優れている医師が居ても、患者を良く出来ない医師が優れている道理はありません。かつて、精神医学界を業界であると言った精神科医の先生がいらっしゃいましたが、その当該業界もその辺は（で）実力主義の業界だということです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
報告を一つ。その二。（西暦2023年3月6日3時47分35秒記載）
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&lt;br /&gt;
約二週間程以前から右足の先から膿が出ている。発熱はしていない（ものと思われる）。先日、西暦2023年3月4日午前のハートフル川崎病院における川村和正医師の診察において、外科か糖尿病内科へ行けと言われた。ちなみに、診察の最後に右足の靴下を脱いでその右足を見せたら、壊疽の初期段階であると言われた（その時、同院にて見たことの無い老婆看護士が、私が川村和正医師に対して「見る？」と告げたら、診察室奥のカーテンをバッと開けて私が許可もしていないのに私の右足を見たということがあった。この日私がハートフル川崎病院を訪れるまでのこれらweblogにupした文章の内容からして、おそらく録音も兼ねて、診察を立ち聞きしていたものと思われる。）&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
抗精神病薬（アリピプラゾール）を服薬すると、明確に右足の状態が悪くなり膿が出る。右首の付け根に「～（チルダー）」の形をしたしこりがあるが、これが同所に出来たのは丁度二年前。現在では、これが小さくなってきたが、抗精神病薬（アリピプラゾール）を服薬するとこれが大きくなる。で、この大きくなったしこりがしばらく（抗精神病薬を服薬せずに）放っておくと小さくなってゆくのだが、それに従って右足先から膿が出るということがあるものである。抗精神病薬を恒常的に服薬している私Shinpei Sugiura（杉浦真平）と同じ統合失調症患者の人々はよくお分かりかと考えられるが、抗精神病薬によってもたらされる身体感覚の異常さというものは明らさまに存在する。養老孟司氏が「頭ではなく体で考える」ということをおっしゃっているが、抗精神病薬を服薬し始めてしばらくすると「その」身体感覚になれてしまい、思考回路を乱され始める。ちなみに、精神科医は、その患者の様態を（で）鑑みて「（精神科医にとって都合が）良くなった、良くなった」とひたすらに言うが、別所で書いた「再世界化」というのはこういうことで（も）あり、特定の医療集団の経営母体からヒトの医師を徹底排除しろというのは、決してきつい言い方でも何でもなく、こういうことである。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
ところで、首上部をはじめ、全身の筋肉に力を入れることで、右足の痛みや腫れの問題はあっさり解決した。私は、この一週間、抗精神病薬を服薬しておらず、西暦2023年3月5日8時12分に一週間ぶりに抗精神病薬（アリピプラゾール）を服薬したが、明確に右足の調子は悪くなり、出る膿の量が減っていたものが右足先が痛み出しまた大量の膿が出るということに相成った。そもそも、胃に糖分を入れた直後、まだ腸からそれが吸収される以前に、血糖を測定して即高い値が出る（その後普通の食事を摂ると低い血糖の値が出る、只のお笑いである）ような血糖値測定器を渡してくるような医師の分際（日本医科大武蔵小杉病院の医師）で、糖尿病だとか上記これらが糖尿病の症状によるものだとか笑わせる。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
ハートフル川崎病院の川村和正医師が下した医師としての判断の通り、私Shinpei Sugiura（杉浦真平）の右足が、その場での現態として、「壊疽の初期段階である」というのは（その意味で）本当であろう。もちろん、抗精神病薬（ここでは、アリピプラゾール）の効能によって。川村和正医師は、「外科（か糖尿病内科）へ行ってそこの先生の言うことを聞いてくれりゃいい」と私に告げたが、上記の通り、抗精神病薬を服薬することを止め、抗精神病薬によってもたらされた身体感覚を元に戻せば、症状はまたたく間に良くなるものであって、いちいちお金を出して体調不良を購入する馬鹿者は居ないということもあり、私Shinpei Sugiura（杉浦真平）は、現時点から、少なくともしばらくは、抗精神病薬の服薬を中止するものである。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
また、横になって睡眠をとると、右足の病状は明らかに改善され良くなるものである。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
余談だが、先日、近所最寄りのドラッグストア「クリエイトSD」へと来店したらば、右足を引きずりながら歩く私の左斜め背後からヤクザの様な「なんとかなんとかだろうがよぉ～う！！」という掛け声と思われるものが為されたが（それを打ち消す様に敬礼をしてくれる女性店員さんも居る）、来客や近所の中学校の生徒を装って絡んでくる連中の存在もあり、こういったところのものが現状である。&amp;hellip;奴らが、同店にて私に買い物をさせないのが目的なのは分かっている。&amp;hellip;奴らに乗る必要は無いということは明確に理解出来るが。店員の一部は奴らとグルである（いわゆるバイトテロ）。彼らは、奴らに、威力業務妨害を行わせて、こちらに対するエンクロージャーを為している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一部で、「まだ、それが気になるのか」などと言う者らが居るが、「当たり前だ、テメェらがヤってるからに決まってんだろ、ナメてんのか」と言われるべくのものであり、露骨に喧嘩を売っておいて、「本当に凄いよね、その仲間意識」とでもしか言い様が無いところのものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
要は、精神科医が、私Shinpei Sugiura（杉浦真平）に対して、統合失調症の判定を取り下げればよいということである（その場合、私は、もう、少なくとも精神科の病院などへは行かない）。その場合、精神科医らは、精神医療業界ごと大打撃であろうが、そんなものは医師らの自業自得である。下記にも記載してあるが、勝手にヒトを病院へ連れ去っておいて、「アンタは統合失調症、ハイ、サヨウナラ」というのは、専ら名誉棄損（の類）であり、人種差別当該どころか、医学的判断基準を人種差別ツールへと堕とすものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
時事ネタを一つ載せますね。その一。（西暦2023年1月9日4時38分記載）&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自宅マンションの北側道路を挟んだ向かいの自称老人介護施設から事あるごとに発せられたり止んだりする脳に響く騒音があるが、どうやらそれのタイミングを鑑みていると、連中はヒトに（おいて）普遍的な「それ」が存在すると思い込んでいるらしい。連中は、ヒト個々人にまつわる体調や都合は無視して、ひたすら連中が理解するところの「それ」が絶対普遍な（何らかの？）基準として存在し、ヒトにまつわる永久不変なテーゼとして存在するかのように見せかけ、ひたすら欺瞞すると共に（騒音という形で）当て付けてくる。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
ところで太宰治は日常的坐臥の自体的存在価値を（それこそ）自体的に勧めたが、連中の暴力団医学はその（上記の）程度なので、「患者」一当該としては全くその様なものを相手にする価値は無い。一般的な精神医学の正体は基本的にコレである。私はこの様なものを採用する気は無い。迷惑千万である。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
朝は起きて夜は寝る、のが、イコールでヒトではない。その事が健康のバロメーターになるわけでも何でも無い。睡眠の質が悪かったり量が足りなかったりすれば、ストレスで自覚的な体調不良も引き起こされるだろうし、そもそも非自覚的な体調不良ということでも健康を害する。&amp;hellip;この様なものの被害に遭っていれば、当然睡眠障害も引き起こされるということである。それを考えると、自宅においてマンション階下方面から事あるごとにドカドカドコドコ立てられる過大な騒音による嫌がらせも同集団によって行われているものである可能性が高い。ちなみに、ハートフル川崎病院の（自称）川村和正医師は、それ（自分達がそういった嫌がらせを被害者である患者に対して行っているということ）を否定したが、私Shinpei Sugiura（杉浦真平）が同院診察室にて「抗精神病薬を服薬すると基本的に眠れなくなる」と告げると、マンガ的な不快さ満面な顔を故意に取り繕うという事を行った、ということがあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「管理の為の管理」とは、まさに連中の為にある言葉であり、ひいては「戦場を故意に敷いている」というのも連中の実態を的確に表す表現である。国家の主権とは一体何処から来るのか。行っていることは戦争ではないか？弱小国は弱小国のままでよいということなのか？アフリカでは泥水を汲む為にボトルを抱え数十キロも一日あたり歩かされる子供達が居る&amp;hellip;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昨今、軍事力や経済的指標（だけ）の「ハード・パワー」ではなく、文化的な（ものの）「ソフト・パワー」ということが云われている。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
時事ネタを一つ載せますね。その二。（西暦2023年1月6日12時56分記載）&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
お正月の新聞に、損害保険大手の損保ジャパンのネット上での早回しCMについての記事が載っていた。「どうしたら自分たちのことを知ってもらえるか」という下りだったと記憶している。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
ず、若者の保険離れと言われて久しいが、そのコマーシャルを見る者が全て該当企業の保険サービスに興味を持っている者であるとは限らない。損保ジャパンの場合は、知名度も既然的に存在し、その類の大手企業であるものであり、まずは「損害保険どうですか？」という入りから始めて、段階を踏んで、顧客を引き込んでいくというスタンスの宣伝が効果的かと考えられる。そもそも、云われるところのキャンセルカルチャーの社会的な存在ということを考えると、いきなり早回しのCMを見せ付けても、「なんだよコレ、またアレかよ」といった感慨を、特にネットを利用してのそれとなると、消費者側は抱かざるを得ないという現状が在ると考えられる。よって、特定国家や医療業界のやり方ではないが、上記の様なものが効果的であると、一消費者としては、考えられる。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
そもそも、キャンセルカルチャーと云われるところのそれは、ヒトにおいて元来的に備わっているものであると考えられる。心理学の方面では恒常性などと言われているし、日常生活における慣れやヒトの生にまつわる老い、一部の若者のレコード愛好における「この手間がいい」といった感慨、などということを考えればそれは当該的に当然のものであるかとも思われる。つまり、ヒトは、キャンセルカルチャーへの自己の依拠の度合いが高い程、「既存の」ものを肯定し易く、一回食い付かせてしまえば（という形で）、（彼らは）顧客としての収益性ということでは見込みがあるということになるだろう。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
私事ながら、キャンセルということで言うと、そもそも私Shinpei Sugiura（杉浦真平）はもう精神科以外に掛かる気は無いが、もし仮に、医師達が私に対して精神科の病院へも来るなというのであれば、統合失調症の判定を取り下げていただくしか無い。勝手にヒトを病院へ連れ去っておいて、「アンタは統合失調症、ハイ、サヨウナラ」というのは、専ら名誉棄損（の類）であり、人種差別当該どころか、医学的判断基準を人種差別ツールへと堕とすものである。特定の種類の医薬品の投薬に関しては、場合により、傷害罪に該当するものであったりするだろう。特定の社会的行為については、場合により、脅迫罪その他に該当するものであったりするだろう。あまり、診察室内での事を口外するなというのであれば話は分かるが、しかし、医師によるパワーハラスメントというものも存在し、患者一個人としてはその様なものから身を守る為には必要概としてのやむを得ない措置というのも有り得る。この様な事を考えると、漠然とした社会不安の顕在化という形でのキャンセルカルチャーというものは、その存在意義はともかくとして、在るだろうとは考えられる。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
「未知性」ということとなると（当該的に）分かりづらいが、完全なヒトは居らず、まずは自分を知ることから始めようよということだろう。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
普通の読み物風のを一つ載せますね。その一。（西暦2022年12月17日18時51分記載）&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近、「人生色々あるさ」などと思える様になってきた。これは、以前の私には考えられないことである。米エール大卒の日本人の医師の先生で「日本人に特有の『べき』思考」などとおっしゃっている方がいらっしゃる様だが、「～すべき」「こうあるべき」等々、そのような思考の水路付けから逃れられる様になってきた。以前の私は、例えば食事ということになると、体調どころか物理的な胃の容量さえ鑑みずに、「これをこれだけ食うべき」「これより先にこれを食うべき」「出ているものは全て平らげるべき」等々、それについて殆ど憎しみに基づく強迫観念でものを食っていた。食事を楽しむという発想自体が無かった。ごく自然と自制的に、食べ物をチョロチョロつまむなどということも出来る様になってきた。私Shinpei Sugiura（杉浦真平）にまつわる、あの自虐的過食もしくは過度の食傷とはほぼ無縁となってきた。その様な私自身不思議であるが、この念自体がまた私の中に横たわる邪魔者であると言うことも出来るかもしれない。&lt;/div&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、別所でもこのことは書いたが、特に人生というものに捕らわれる必要も無く、気に入らなければ人生などというものはポイッと捨ててしまえば良い。逆説的に、そうしてこそ自分の人生を客体視することが出来るようになるものと考えられる。生きるというのはそういうことだろう。踊らそうとしてくるものに踊らされながら、精神的にも肉体的にもズタズタボロボロになって、滅茶苦茶になりまた全てを滅茶苦茶にしながらクリーチャーとして生きる必要など何処にも無い。特に日本のマスメディアに多いが、生きるということを自体的に目的概化させようとする連中も居る。そういった連中から身を守るには、自分から人生なるものを（少なくとも一回は）捨象してみることである。ヒトは生きる為に生きるのではない。例えば、「人工知能に社会を支配される」などと主張している連中が居るが、人工知能を管理統御するのはヒトであるが故に、連中は管理外化されるのが恐ろしいのである。人工知能とは関係無いところで生きていたいのが連中である。社会概な自己の存在を問うということは連中においては無い。つまり、生きる為に生きているのが連中だということである。私はここで、例えば、生活保護受給者を馬鹿にしたり侮辱したりしているのではない。それは、ヒトビトの生活スタンスの問題ではなく、ヒトビトの社会性にまつわる問題だということである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人間の内面なんてそうそうキレイなものではない。私は自分が清潔な人間であることを自称するつもりはサラサラ無いが、「そういったことを書いている」私（だから汚いということ）でも、様々なものがどんどん出てくる。&amp;hellip;私は、統合失調症患者の身で、思考盗聴によって頭の中を覗き見られていることに敢えて異論を唱えるつもりは無いが、ヒトとヒトが分かり合うというのはその人間の内面を全て知り尽くすということではないだろうと考える。というのは、ヒトは社会に（おいて）生きており、それについては知っても知っても知り尽くすことは無いという、これについては別所でも書いたが、それは「男集団」を意識する女性的なもののそれである、ということである。女性はやはり男性に比べて社会不安に駆られ易いのだろう。「理系女子」などと呼ばれているが、科学的態度というのは、女性的なもののそれではないかと私は予想する。&amp;hellip;&amp;hellip;（「既知性」及び）「未知性」というのはそういうことであり、これは「無知の知」というのがどういうことかということにもつながってくるだろう。&amp;hellip;ちなみに、ブッラクホールの中にエイリアンが住んでいる（？）かもしれないという科学者による知見があるが、我々地球人の常識やロジックが全く通用しないところにて存在している知的生命体の存在の可能性ということについても考えておいた方が良いだろう。例えば、1+1が13になるとか、そういったことが成り立つところに存している存在とか、ね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
余談だが、どこか別所で書いたキャバクラという事に関して、その様な場として提供されているものであるから、私は躊躇無く色々な話ができる。これが只の喫茶店やコーヒーショップやレストランということになると、私はその様にはしゃべらないだろう。それは、その様な場で相手のヒトに合わせるということではなくて、その場という云わば「味覚」によって私は態度を変える（味によって変えざるを得ない）ということである。その意味では、私は、彼女らを真に慮ってはいないが、風俗店の社会的価値はもちろんその様に評価している。私が社会学や経営学に（おそらく経済学よりも）興味を持つのはこういうことである。個人の社会的要請には私はまず受け答えない（キャバクラ嬢の指名の要請には私は答えたことが無い）。私Shinpei Sugiura（杉浦真平）個人の社会的な力など微々たるものであるということである。しかし、場のということになるとそれを私は重視というよりは重用している。そして、社会的常識というのも、私においては「味覚」の一つに過ぎない。だから、それは、味一つでおいしいかおいしくないかの問題であり、自分の舌の上で転がるものでしかない。そして、私は、舌に残る苦みを最も嫌う。また、甘みといっても、例えば、砂糖と果糖ぶどう糖液糖ではまったく味が違う。つまりは、その食べものの味でしかないということだが（もちろんここで言う「食べもの」というのは比喩表現であり、特に私が「人を食ってる」輩というわけではない）、（その）苦みというのは同じ一点に集約されるものであり耐え難い。もちろん、これは上記社会的常識と同値ではない。それは社会的無識とでも呼ばれ得るものである。それをcrash to createの繰り返しとは言わないが、特にこと味覚に関することとなると、飽きというものはあるだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ミュージシャンの人たちは、良い音楽を届けてくれるだけで価値がある。その意味では、スーパーロックスターにおいてもストリートミュージシャンにおいても、機会平等性は保たれている。例えば、spotifyの収益率が低すぎるというのは、楽曲の価値に一義性を設定している人間の発想である。金を稼ぐ為に音楽をやるというのならば、金銭を得る方法などいくらでもある昨今、それはナンセンスなものとして扱われるだろう。楽曲の価値というのは多義的であり、それにつれてミュージシャンとリスナーを結ぶ経路も多様化していく。それぞれの技術が社会的に浸透した場合はじめてイノベーションが為されたと云うが、この場合、リスナーの存在によって「只それだけで」ミュージシャンにおける価値が創造される（もちろんミュージシャンというのは音楽をやるヒトのことだが）。私は、spotifyの「今月のリスナー」の数をいちいち私見するが、それには（第）一義的な価値など無い。音楽の楽曲性ということを考えた場合、ミュージシャンはinnovateされており、自分の楽曲について自信を持っている（べきだろう）。それこそ単調な伝染性というのもあるかもしれないが、良い楽曲というのはより多くのヒトに好まれるだろう。しかし、それが（第）一義というわけではないだろう。特定の楽曲が作られる以前からそれが存在するということは無い。それが近似の世界であるが故に（もちろん私は、特定の対象Aと特定の対象Bが似ている似ていないというのは分かるが、それが特定の対象の取捨選択の（第）一義的な基準になるということは無い）、少なくともこの点において有名税というのは否定される。流行り廃りというのはもちろんあり、我々は音楽家を聴くのではなく音楽を聴くのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
破壊衝動の問題が考えられる場合、「義務教育」は逆手に取られ「教師」はその様に無視されるべきだろう。学校の外で学ぶことなど幾らでもある。教育の場というのは押し付けられるものではなく提供されるものだろう。前者の場合、教育が被教育へと変逸してしまう。特にそこでは生物学的な自己同一性が生物学的な自己同一性であるが故に無視されており、事女性ということになると彼女らは与えられるものである（社会の中心に居るのは女性である）。それは、性が善である世界であり、生物学的な自己同一性ということでも社会学的な自己同一性ということでも女性は尊重されている。&amp;hellip;老人の役割というのは、ひたすら教えを説くことである。それの個々の是非について判断するのは若者である。いちいち老人と若者をversusにして対立構図を煽る必要など無い。そこでは今度社会学的な自己同一性が社会学的な自己同一性であるが故に（として）否定される。私はもちろんその意味で（は）世代間闘争というものを否定している。「何をなすべきか」というのはこうして立脚されるだろう。一部に離人症で云々という者も居るが、物事を客体視するということの重要さは理解されるべきだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
英語で、&quot;The vague rumor as real thing is(was) proven.&quot;という場合、「あるのわかり」は受動態だ（で表現されている）が、&quot;They prove(proved) the vague rumor as real thing.&quot;という場合、「あるのわかり」は能動態である（で表現されている）（前者は未知的であり、後者は既知的である）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
御名前は失念してしまったが、国際ジャーナリストと御自身を銘打つ某女史殿が、（「デジタル・ファシズム」についてはどうか知らないが）食のファシズムについて注意を喚起していることについて、それは「理系女子」ではなく「文系男子」の（による）それではないかと考えられる。というのは、他己の存在についての証明を欲する、概して虚無主義的なその社会性は「理系女子」のものだからである。彼女は、他己の存在についての証明を、この場合、必要としていない。「ヒトは食われることによって進化した」ということをおっしゃっている学者の先生がいらっしゃったが、ヒトは、その様に食うことによって「既に」食われているということだろう。「これは食えるのか食えないのか」ということを（で）識別するとなると、（「既知性」及び）「未知性」ということと関連してくるだろう。食文化の歴史だけで人類の歴史が成り立っているわけではないが、いざとなれば食べられるものは何でも食うのがヒトである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;

&lt;div&gt;普通の読み物風のを一つ載せますね。その二。（西暦2022年12月26日14時09分記載）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人権活動家と民主活動家は違う。前者は然るべきものだが、（私は）あまり後者には賛同出来ない。悪質な人間も多々居るという言い方も出来るが、更生というのは医学的に行われるべきものであり、ヒトが生物である限りにおいて、社会的更生などというのは言語矛盾である。ヒトビトが踏み躙られ踏み躙り、その様に自分や他者の人権を踏み躙るとなると、それは只の非行である。社会秩序の維持は医師の仕事ではないが、それはマスコミにおいても同じである。医師やマスコミ関係者がその様なものにコミットする場合、それは只の甘えであり非行少年少女のそれである。医師もマスコミ関係者も一人一人は生きているヒトであり、生物としての彼らを無視するわけにはいかない。別所でも書いたが、医療がその様な体制を執る場合、それこそ医療社団法人ならぬ医療法人社団が出来上がらざるを得ない。それは暴力団と何の違いも無い（私は指定暴力団の構成員がイコールで悪党であるとは言わない）。社会主義国家群と民主主義国家群は、（少なくともその意味で）相互扶助の関係であり、（物事の程度問題として）習近平氏はそこのところは押さえておられる様に見受けられる。これが失われた場合どうなるか？戦争が勃発する。習近平氏は戦争には反対しておられる。ゼレンスキー氏もそこのところは押さえておられるのかもしれないが、（少なくとも現在では）ロシアはそうは見做していない様である。プーチン氏は、当初、これは戦争ではなく軍事作戦だとおっしゃっていたが、後にこれを戦争であると明言された。そこには、国家群の各指導者における民主主義性の解釈の問題が横たわる。ゼレンスキー氏は、近日訪米された通り、少なくともそれについてはアメリカ的である。プーチン氏はそれによってロシア（的なもの）を壊さないでくれという様なことをおっしゃっておられたが、それが通じず、ロシア国を守る依拠に出た。何度も言う通り、戦争はプーチン氏の本望ではない。ここへ来て、彼は、戦争終結の為の話し合いを、と、おっしゃっている。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
戦場を故意に敷いているだとか、管理のための管理だとか、そんなものは無い。ヒトとしてのスペックを自らダウングレードしているというのは、少なくとも私にまつわる病気の症状として、有るかもしれないが。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;

&lt;div&gt;外敵に対する抵抗力をつけておかないとすぐさまやられるというのはあるだろう。それは、上記戦場を故意に敷いているだとか管理のための管理だとかいった事ではない。奇しくも、旧統一教会問題にまつわる宗教二世の救済の問題が取り沙汰されている昨今だが、そういった抵抗力無しでは、例えば、あくまでも悪質な、ということだが、新興宗教から身を守ることは出来ない。日本国では信教の自由は保障されており、私は特段新興宗教の類を頭ごなしに否定するつもりは無いが、そういった彼らは自らの活動内容を全て公にすべきだろう。「悪党」もその活動内容は全て公にされるべきだろう。もちろん警察は見ている。警察が「悪党」がやる様に「公に」絡んでくると思うか？「悪党」の公は主張表現の類である。警察はそうではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
仮に私が警察の幹部であるとして、警察を「こうやると」、それはゲシュタポである、と、云われるのだろう。現代日本の警察とゲシュタポとの違いは、その様には「手が出ない」ことである。「警察は証拠が無いと動けない」というのは建前だろうが、そこで特定の対象が銃撃されるとなると、それはGeheim Staats(Polizei)であるということになるのだろう。警察自身が警察機構自身（としての立ち位置）を守るため、警察をゲシュタポ化させない、というのが正解だろう。警察は（その様な（に））法に則って動く。「法は社会の反映である」、その様にそこでは社会的更生というものが通じてしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
普通の読み物風のを一つ載せますね。その三。（西暦2022年12月28日18時13分記載）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当該の被害者をダシにしたりネタにしたりして悪事に勤しんだ上に全てのそれにまつわる犯罪性をその人物に引っかぶせてなすりつける事ができるかの様に主張する犯罪者らが居るが、仮にWINDOWS11のOSが入ったとあるPCにバックドアが仕掛けられているとして、それはMicrosoft社の責任が追及される案件である。もしそうでなければ、じゃあWindows Defenderって何なの？という問題であり、これは各セキュリティーソフトの機能面において強いとか弱いとかそういった問題ではなく、仮に「弱い」のであればそんなセキュリティソフトがOSに組み込まれていることがおかしいということである。つまり、その様なセキュリティソフトがOSに組み込まれているPCにバックドアを仕掛ける者のその行為が異常であり犯罪であるということである。実際、ジャーナリストで、「デジタルで個人情報は丸裸」という報道を行っている人が居るが、そういうことである。
&lt;div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
社会には悪質な人間達も居るということであり、自分達が悪党であるという自覚が存在する限りにおいて彼らはその存在を許容されている。人々は、彼らの存在を無根拠に是認することも出来なければ、彼らの（その）存在を無視することも出来ない。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
例えば、中国のzero-COVID ruling撤廃に関して。確かに急激にウィルスへの対策を全面的に破棄するとなるとそれは無謀かもしれないが、ウィルスへの対策が完全である（となる）事など無い。エドワード・ルトワック氏の様にそれについて懐疑的な論客も居らっしゃるが、おそらく当該ウィルスが死滅して消え去ることは無いという事を考えれば、それと地味に付き合っていく方が少なくとも長期的には賢いと言えるかもしれない。最近、中国では、当該ウィルス未感染者の新規雇用を避けて既感染者を優先的に雇うという企業が増えているそうである。中国人ではない者としては、中国における一般企業の雇用の自由度がどの程度もしくはどの様なものなのか疑問に思うが、確かに病欠されることを考えれば、特に即戦力に抜けられると困る業種では、その様なことに妥当性があるとは考えられる。死者数も増加している様だが、社会全体の落ち度とも云えるものが増幅するよりは、人々は賢明な道を選んでいるということかもしれない。ヒトの死に関してこの様なことを言うのはえげつないことは理解している。医療現場の逼迫ということを考えると、どう大本営発表が在ろうが、死に至る者は死んでいるしそうでない者はそうでないということである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東日本大震災における犠牲者の方々のご冥福をお祈りいたします。&lt;/div&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;br /&gt;
また、きましたね、同じような時期に&amp;hellip;。（西暦2022年3月16日）&lt;br /&gt;
当方でも強い揺れを感じました。&lt;br /&gt;
津波の被害の方は大丈夫でしょうか&amp;hellip;？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
緊迫するウクライナ情勢ではございますが、戦火が早く止むことを心より願っております。ところで、「戦争犯罪」って何なんですかね？戦時下に起こる出来事の内、どのようなものであると「戦争犯罪」に該当するのでしょうか？私見だと、戦争行為自体が丸ごと犯罪かとも思われますが。ロシア軍は病院を攻撃して破壊しています。その理由として、その病院は過激派に占拠されていたということを挙げています。これは戦争です。（だから）ロシア側も分かってやってるんでしょ？違うの？以前もこういったことについては書きましたが、少なくともアメリカのホワイトハウスのサキ報道官のおっしゃることはそうですし、ロシア側にしてみれば自分達の社会の内実をないがしろにされたという念が強くあるわけです。クレムリンの高官達が全てそういう認識を抱いているかどうかは分かりませんが、プーチン露大統領は少なくともこの点に関して嘘は付いておらず本当のところを語っているでしょう。「こちらに対する敵方が行っているのは、こういうことだ」、ということで、「戦争犯罪」に該当することがある種平然と行われているということではないでしょうか。だから、いくら双方の首脳会談や外相会談を重ねても、ウクライナ側が毎回主張する通り、価値ある成果は得られないのですよね。社会の根底的内実から鑑みて、その位相からの話し合いを行わないと何も問題の解決にはならないのではないかと、私は、僭越ながら、存じ上げております。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ロシアが化学兵器を使用する懸念があり、もしそれが行われた場合はNATO（北大西洋条約機構）が（として）戦闘に介入するという情報があるようです。そもそも、NATOは非加盟国におけるそのような事態にはコミットしないとしており、そしてNATOの介入はウクライナのNATO加盟を否定するロシアの最も嫌がることだったはずです。だから、やっとNATOが動いたという解釈もあるようですが、そうではなくて、欧州における「戦争」へと追い詰められてのハシリであるということではないでしょうか。第三次世界大戦は回避されるべきであるとアメリカも当初表明していたはずです。しかし、化学兵器など使われた日にはそれはもはや核戦争と同等の脅威であるということでしょう。&lt;br /&gt;
私は（医師によって処方された医薬品として、云わば公式に）抗精神病薬という薬物によって自分を滅茶苦茶にされたことがあるので、あれら薬物の脅威についてはよく分かります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近、しばしばIQテストに関するものを見るので、一言。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私Shinpei Sugiura（杉浦真平）が読んだ何かの本によると、アルバート・アインシュタインはIQ175、ゲオルグ・フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ヘーゲルはIQ165、ジョン・スチュワート・ミルはIQ145、イマヌエル・カントはIQ135だそうです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私には、
&lt;div&gt;カントの哲学は理解できない。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;J・S・ミルの経済学に関する著作は読んだことがない（大学の時、経済学史の授業で多少触れたことがあるが&amp;hellip;、よく覚えていない）。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;ヘーゲルの言っていることは、その意味内容からして、かろうじてなんとなく分かる。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;アインシュタインの理論について、物理学のことは分からない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もちろん、当時にIQの指標もそれを計る試験も無かったでしょうから、ペーパーの試験ということであろうが別の何らかの計り方ということであろうが彼らの残した業績をもとに現代のもので演算もしくは類推してということでしょうけど。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ところで、米エール大の日本人の経済学の教授で、「こんなスケベな国は無い」と、日本について、面白いことをおっしゃっている先生がいらっしゃるみたいなんですが、私Shinpei Sugiura（杉浦真平）は白色人種の女性や黒色人種の女性より黄色人種の女性が好みです。これは何故だか分かりませんが、私は白人女性や黒人女性に対してはあまり性欲が湧きません。別に彼女らにヒトとしての魅力を感じないわけではありません。私が予想するに、おそらく、同じというか近しいもしくは似た様なヒト同士で交配していた方が人類という枠組みで捉えるところのカテゴリーの種の存続においてはヒトの生態上都合が良いからではないでしょうか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに、竜頭万里子さんの「究極のエニアグラム」の様に、その当該のヒトの行動に関する様々な事実からその該当のヒトのキャラクターを「判定」して位置付けるというものもありますが、上記にて私が言及している「（同じというか）近しいもしくは似た様な」ということにおいて、「判定」されたキャラクターが該当のカップルにおいて採用されるかというとそうではないでしょう。それは、当該カップルにおいて、（ヒトにおける性の欲動ということにおいて）真実ということではないでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（IQテストに関する具体的な話。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ネット上に転がっているものは、何処のどういった主催者に拠るものであるか不明な上に、そもそもその本式のものである保証は何処にも無い（極論すれば、モニター上に何が映し出されるかでしかないということ）。大人は既に何らかの社会参画を果たしており、経験を多々積んでしまっているものであり、小児が受けるペーパーの試験で知能を計るということ自体がナンセンスである。テストの受験の回数を増やせばスコアが上がっていくのも同じことである。教育機関の入学試験でIQを計ることが出来ないのもまた然りである（私の記憶が確かならば、入試でのIQテストはそもそも法律で禁止されている）。知識の量イコール知能ではない。特に、老人は脳も含めた体の働きが鈍っており、病気を患っている者もおり、それでは老人のIQが極端に低いということになってしまう。アインシュタインが7歳児が受けるペーパーテストと同じものを受験してIQ175というスコアをたたき出しているというのではない。「memo69」というタイトルの記事で思考盗聴について触れておいたが、現在は、何らかの科学技術によってもっと複合的にヒトの知能を計ることが出来るのかもしれないが、残念ながら私はそれについては具体的なことは殆ど知らない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（西暦2022年9月16日11時45分記載））&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ところで、以前「歴史は化学を入れると面白い」というテーマ、だったかな（？）、で、語っていた化学の先生がいらっしゃったと記憶していますが、化学の理論や化学の実験が悪者にされるのは本意ではないので、逆に「化学は歴史を入れると面白い」というタイトルで一筆。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
果汁100%のぶどうジュースを飲んでうめぇなあと思うのですが、太古の時代、ぶどうの美味みを何とかヒトが摂取可能な形でという見識からワインの製造や貯蔵の方法が確立されたのではないかと。あの時代、腐敗防止や冷蔵などという技術どころか発想自体が無かったっぽいですから、ヒトは発酵という手段に訴えたのではないかと。これはイケるぞ（飲めるぞ）、と。つまり、現代の様にそれらの技術が比較的容易なものとして普及しているパラダイムにおいては、賢い人は高価なぶどう酒より安くて美味いぶどうジュースを飲用する、と。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
経済史というと、上記前者の発想から取り組む方が多いかと思われますが、E.H,カーの様な「歴史は科学だ！」という歴史学者の先生もいらっしゃる中で、上記後者の発想からアタッチしても面白いかと思われます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私はですね、例えばフローズンヨーグルトがアイスクリームの代替財としては成立しないという価値観の持ち主なので、もしぶどうジュースがワインの代替財（この場合）として成立しないという主張をする方がいらっしゃればごめんなさい。どっちも飲むしっていう。&amp;hellip;&amp;hellip;ここなんですよね、経済学があいまいさに基づく所以。経済学を教える先生たちには、大抵「AってBだよね！？」と自らの主張の下議論を推し進めてしまうヒトが多いような。例えば、白内障の手術という医療サービスが緑内障の手術という医療サービスの代替財として成立するということはあり得ません。こういったことに関しては私などより経済学者の先生たちの方が優駿でしょう。しかし、フローズンヨーグルトがアイスクリームの代替財となるかどうかというとこれは言い争いになるでしょう。焼酎と日本酒の味たるものがガキの頃は分からなくて片方が片方の代替財として成立したが、おっさんになった現在ではそれが分かるようになってそうではなくなった、という方もいらっしゃるかもしれません。お金の価値だって、同じ一万円でも、ヒトによって違いますよ？同じヒトでも時と場合によって違います。だから、経済学って決して万能ではないと私は鑑みるのですよね&amp;hellip;。&lt;/div&gt;</description> 
      <link>https://ssss1.blog.shinobi.jp/tagebuch/memo75</link> 
    </item>
    <item>
      <title>memo74</title>
      <description>西暦2021年1月4日、ハートフル川崎病院にて。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
医師に記載してもらい公共の役所に提出する為の書類の用紙が私Shinpei Sugiura（杉浦真平）の手元に届いたのでそれを同院の川村和正Dr.に提出すべく持って行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
午後の12時前後、同院に到着。入口で、これまでは人為的に計られていた体温が、巨大なスマートフォンの様な形をしたタブレット端末の類と思われるものに顔面を近づけて写真（？）を撮りそれに従って被撮影者の体温が示されるシステムにて体温を計るよう同院の職員と思われる者に促される様に変わっており、そのように体温を計らされた。同システムにて示された体温は35.9度。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
掲示してある主な医療従事者名簿を見ると、新たに「院長補佐」の役職名が追加されており、その横に「初雁何某」（苗字に対する名前の部分は失念してしまった）の唯名が「院長補佐　初雁何某」という形で加筆されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
待合で、川村和正Dr.に「こんにちは～」と声を掛けられる。それから、午後の13時前後に同院月曜日午後の診察が始まる。それから約1時間程度待たされた午後の14時前後川村和正Dr.が在室している診察室への私に対する入室のコールが掛かる。私は入室と同時に挨拶をし、「薬（抗精神病薬）があと二日分くらいしかない」、「まったく夜眠れない」、「件の書類について（渡そうとしたら、手続き上（のことで）事務に出してくれと川村和正Dr.に言われた）」、ということその他について話した。それに加えて、「幻聴は無いよね？」と川村和正Dr.は私Shinpei Sugiura（杉浦真平）に問うた。私は、「自分の思考とは全く関係無く現れる幻聴は無い」「（具体的に「念作」とまでは言わずそれについての詳細な説明も既にこれらブログに書いてあるということもあり行わなかったが）自分の思考の延長線上として（の）（その域になると制御不能な）念慮はある」と答えた。不眠については「睡眠薬を出そうか？」と問われたので了承し、商品名ロゼレム一般名ラメルテオン8mg/日と商品名ベルソムラ一般名スボレキサント20mg/日が処方された。後者の説明書きには「不快な夢等が現れることがあります」と記載されていたが、不快な夢どころか良夢を見るものであり睡眠の質・量の高まりと共に実に脳が癒えていくのが実感的に分かるものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私Shinpei Sugiura（杉浦真平）が、川村和正Dr.に言われた通り、事務職員に上記書類を提出しようとすると、「（今ボクがやっている）作業の流れが止まってしまうのでぇー」「会計の時に」と眼鏡を掛けた「花山」名札変更後「花村」を自称する男性事務職員がそのように発言した、彼はこちらの説明を途中で遮った。後、別の女性事務職員に、上記「花山」名札変更後「花村」に「従って」、「今お手元お忙しい？」との断りの文句と共に上記書類に関する説明をすると、彼女はこちらの説明を全て聞いた上で、「会計の時に」と発言した。会計の時に、同書類に関する説明をすると上記女性事務職員とは別の眼鏡を掛けた女性事務職員が突然私に質問をぶつけながらその医師が記入するはずの書類に記入を始めた、ので、私は「ソレ事務職員のヒトが記入していいものなわけ？」と問うた、らば、彼女は「鉛筆で」と答えた、ので、私は「ああそう」と答えて質問に仕方なく答えた、が、もちろんそのような書面についての事務職員からの質問に私Shinpei Sugiura（杉浦真平）は本当の答えなど言っていない（おそらく法的にもそうだが倫理的に医師でない者に診察室の外でそのような書面に関してそのような質問に答える義務は私には無い）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
後日談。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近は、商品名アキネトンのジェネリックの医薬品である、一般名ビペリデン塩酸塩・商品名ビペリデン塩酸塩錠１ｍｇ「ヨシトミ」（Biperiden Hydrochloride）を12時間に一回一錠服薬しています。実に良く効きます。これを飲むと、主に、頭部深部・首筋・肩・腕・背中にかけての筋肉の凝りが緩和されて、脳の働きの具合も良くなり、とても楽で気分が良くなります。非睡眠時にはきちんと覚醒して睡眠時にはきちんとよく眠れます。これは、私Shinpei Sugiura（杉浦真平）が、以前商品名アキネトンを服薬して調子が良くなった経験から、ハートフル川崎病院の川村和正Dr.にそれを申告して、一日当たり2mg分出してもらっているものです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
睡眠薬の商品名ロゼレムと商品名ベルソムラは全く摂取していません。ベルソムラは、副作用の無いジプレキサの様な感じの薬効があり、ロゼレムよりはまだ良い効き方をしますが、どちらも服薬しない方が良く眠れるので。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
商品名エビリファイのジェネリックの医薬品である商品名アリピプラゾール錠「アメル」を一日当たり30mg服薬するということについては、時間帯についても服薬量についてもあくまでも体感の調子が良くなるようにということでかなり乱雑に行っています。そうでないと、毎日寝る前に30mgずつ服薬するという形では体調が崩れていくので。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（&amp;uarr;上記後日談をここに記載してから、第一回目のこれら医薬品らの処方において処方された一般名ビペリデン塩酸塩・商品名ビペリデン塩酸塩錠１ｍｇ「ヨシトミ」（Biperiden Hydrochloride）の薬効が、明確に変わりました。飲み合わせもあるかもしれませんが、以前は同じ医薬品でそのようなことはありませんでした。単発で服薬してもちょっと微妙な感じがします、これは私の被害妄想の可能性もありますが。いずれにしろ、お金を払って体調不良を購入する馬鹿は居ないので、こういったことははっきりと断っておきますが、「以前の」抗精神病薬の薬効の香りすらします。上記の様に、これを記載している現在において私が所持している一般名ビペリデン塩酸塩・商品名ビペリデン塩酸塩錠１ｍｇ「ヨシトミ」（Biperiden Hydrochloride）を、次回のこれら医薬品らの処方までに定期的に服薬するということは、私Shinpei Sugiura（杉浦真平）においてあり得ません。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ところで、Pfizer製のCOVID-19のvaccineの第一回目と第二回目を、近隣の公共施設にて、打ってもらいました。全身の筋肉が楽になる感じで、とても快適です。マスクを着用せずに商業店舗内や屋外を移動しているヒトを多々見掛ける昨今ではございますが、これをご覧になっていただいている方々におかれましても、喫緊の接種をおすすめいたします。</description> 
      <link>https://ssss1.blog.shinobi.jp/tagebuch/memo74</link> 
    </item>
    <item>
      <title>memo73</title>
      <description>&lt;p&gt;本日西暦2020年12月19日0:00分前後、例によって自宅マンション階下の遠方からのものと思われる巨大な衝撃を伴った衝撃音や自宅マンション北側道路を挟んだ対岸の自称老人介護施設やその隣のマンション辺りからの金属同士やコンクリート同士もしくは金属とコンクリートをぶつけ合わせるような巨大な衝撃音が、5分間隔程度で断続的に、前者は1回後者は4、5回あった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この深夜のことであり、当然衝撃を伴っているからして幻聴であるはずがなく、上記の内容を警察に110番通報した。こちらは、もう過去に通報記録何件も同じ様な事があり貴方の警察にも自分達に通報してもらっても何もできないと言われているということもありこれは通報して知らせているだけであり警察官に来てもらわなくて結構であると言っているにもかかわらず、「ああ～、電話を逆探知できましたぁ」「警察官を差し向けますので、場合により電話協力をお願いします」との警察官と思われる声の主からの返答があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以後、警察官の制服を着た警察官と思われる人間が上記の返信の内容とは異なってこの深夜に突然自宅玄関のインターホンを鳴らして来訪を告げる。私は、玄関へ出て応答をする。その警察官と思われる人間は、こちらのマンションの建物に衝撃が走るという言明は無視して、（駅からの騒音などここまで聞こえるはずも無く）「南方の（東急田園都市線宮前平）駅の方まで今パトロールしてきたが何も工事など行っていない」、「今現在この時点地点でその騒音はしないし、通報してくるのは杉浦さんだけなので、（現行犯ではなく）警察は何も動けない」、（にもかかわらず）「通報するんだったら、緊急性の高い110番ではなく近所の宮前警察署の044-853-0110にしろ」、と私Shinepi Sugiura（杉浦真平）に対して一方的にしゃべった。調書には、私が玄関へ出て応対をし始めた時点で、既に、おそらくは上記の「駅の方まで云々～」の内容であろう何かが書かれていた。この男がもし本当に警察官であるならば、この行為は犯罪であり普通に捕まると思われるが。また、「杉浦さんの思い通りになればいいけどねぇ？」と嫌味を垂れた。あまりにも幼児的。あ、中には警察官を装って被害者の眼前に出てくる犯罪者というのも居ますので、ね、お気を付け下さい。私Shinepi Sugiura（杉浦真平）については、もう私Shinepi Sugiura（杉浦真平）の眼前に日本の警察官として制服を着て出てくる人間は全てレベルの低い道化演技を行っているということが（で）明白です。警察官として有り得るとすれば、出てくるのは巡査・巡査長・巡査部長あたりですよね？そういうヒト達であるからなのかどうか知りませんが、あれらこちらを騙して丸め込んでると思い込んでるんですかね？事実関係を無視して精神分裂病のレッテルを貼っていられる時代はもう終わりました。コマワリ君とかそういう下品な言い方は私Shinepi Sugiura（杉浦真平）はしませんけど。私Shinepi Sugiura（杉浦真平）はここで&quot;Catch me, if you can.&quot;とか挑発的なことを言っているのではありません。本当のところです。（訪れれば一般市民に対して舌打ちをするヤクザ顔の不良警官が出て来ますけど最寄りの神奈川県警管轄宮前警察署の惨状たるや目も当てられないよねということです。）&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
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東京都世田谷区上祖師谷（だったかな？）で、宮沢みきおさん宅が襲われ一家四人が惨殺された事件が起こってから20年になります。あれ、警察は事前に防げたんじゃないですか？あの事件。世界の至る所で自爆テロ事件が後を絶ちませんけど、アレ事前に知ってる人達は「（犯人等について）具体的なことを事細かに」知ってるんじゃないんですか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;hellip;&amp;hellip;先制攻撃をすればそれはゲシュタポと同じであるとかなんとかでワザとやらないわけでしょ？確かに社会的規範の云々とも絡んできますし難しい問題かとは思われますが、普通に善悪の分別が付くのなら取り締まるべきものは取り締まるべきである、と、（一般市民としては）思いますが。&lt;br /&gt;
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私Shinpei Sugiura（杉浦真平）は、私が書いた文章を読んでくれるヒトに犯罪に手を染めて欲しくない。私が自分のPCで書いてネットにupしていない文章を読む（見る）ことは、その当人がその様に意思を介在させている限りにおいて、犯罪である。だから私は読んで欲しい文章については自分で手動でネットにupする。&amp;hellip;&amp;hellip;ハッカーが居てくれるから、とまでは言いたくないが。悪党というのは、自らが悪であることの自覚意識があるからこそその存在に意義があるということである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私Shinpei Sugiura（杉浦真平）は愉快犯ではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
leftist達がネットにそのようなものをupするのを止めているというのは、こちらleftist達でない者らの行動にその行為を勝手に当て付けてくるテロリストの行為と自らの行為を連関させたものであり、leftist達でない者らに対する言論封殺の一である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分達はお偉方ではないのだから悪い事をやると捕まるという意識を持っていることは一般市民として大切なところでしょう。&lt;br /&gt;
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少なくともここ二週間程度、毎日毎日一日当たり数回から十数回、事あるごとに階下遠方からのものと思われる巨大な衝撃を伴った巨大な衝撃音があるものであり、迷惑千万どころではない。明らかにマンションの建物にダメージが入っている。実行者はどう鑑みても（様々な犯罪行為に及ぶところのものすべてという意味での）暴力団関係者であると思われる。これは、現在自宅マンションの建物の修繕工事を行っていることになっている「フォルス」なる名称の業者によるものとは、別の案件である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに、西暦2020年11月20日、私Shinpei Sugiura（杉浦真平）は、現在自宅マンションの（少なくとも名目上）補修工事を行っている同株式会社「フォルス」の自宅マンション敷地内に仮設されている事務所を訪ねて、明らかに建物のコンクリート部位各所を削っており箇所によっては例えば金属の手すりのコンクリートの内部に埋め込まれた部分が剥き出しになっている等の事があるということについて、その場に居合わせた主任であるかと思われる男性に問うた。彼からは、「自分達は建物の各所を叩いて（？）調べて『上』に通達し、それに基づいた指示に従って工事を行うだけである」との答えが返ってきた。普通に考えても金属におけるように破損されたコンクリートは溶接出来ないだろうとのこちらからの問いには、「自分達は施工業者であり、それはもう研究者の領域になっちゃう」「それについてはモルタルできちんと金属部位は覆うが、そうやれと言われているだけであるからどうしようもない」と彼は返答した。「上」については、「国土交通省」（国土交通省発行のこのような工事の指針となるものがあり、それに従って工事を行う、とのこと）や（自宅マンションの管理会社である）「東急コミュニティー」の名前が出た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ところで、約8か月前隣接居住区域の住人から個人的なリフォームを行うという断り状が当世帯に届き（おそらくは各個別世帯に届き）、同8か月前から6か月前にかけてその一室である隣室から衝撃を伴った凄まじい騒音がしたということは私Shinpei Sugiura（杉浦真平）がブログ本サイトにupしておいた通りだが、今回の件に至っても日々それと同じ方向場所から殆ど同じ騒音がするということがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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もし仮に（様々な犯罪行為に及ぶところのものすべてという意味での）暴力団関係者による嫌がらせ攻撃である場合、このような行為によりマンションの建物が崩落し私Shinpei Sugiura（杉浦真平）の肉体が傷付けられるということになればおそらく敵方の構成員には刑事罰が下るであろう。まあ、この間の震度1程度の地震ではマンションの建物に取り付けてある建設現場作業員の人達の足場資材の重量それも含めて崩落はしなかったが。こちらは少なくとも警察に届け出るという形で公共権力には通達してあるが、これについて何も動く気配は見られないということである。&lt;/p&gt;</description> 
      <link>https://ssss1.blog.shinobi.jp/tagebuch/memo73</link> 
    </item>
    <item>
      <title>memo72</title>
      <description>最近専らSTEM（Science, Technology, Engineering, and Mathematics）の教育が取り沙汰されています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
参考までに。今もあるのか分かりませんが、心理学でMBTIというのがありますよね。これにおいて、主なものとして、4項目ある診断基準の内、最初のIntuition型（以下I型）かSense型かという分類において、私Shinpei Sugiura（杉浦真平）はI型です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
余談ですが、私はそういう子供だったということなんですけど、おそらくですよ、I型の子供に必要なのはともかく取り組ませることです。おそらく、I型には「安ずるより産むがやすし」なところがあり邪魔を非常に嫌う、という子供が多そうです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ところで、今の子供たち、場合により、「自分の身は自分で守る」ということを学校で教わっているらしいのですね。確かに、生きていく上での基本スタンスとしてはそうでありきと言うことが出来るかとは思いますが、特定一個人の能力では防ぎきれない災禍というのもあるのですね。そういうものと遭遇した場合にどう特定の社会に所属する人々で力を合わせて対処していくかということも子供の内から学んで損は無いと思われます。例えば、天災に遭遇した場合に、様々な局面において助けてくれるヒト達がいらっしゃいますよね？そういった人々の行動原理は何か、ということです。（西暦2022年3月25日11時50分記載）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
説明の便宜上竜頭万里子さんの「究極のエニアグラム」をまた引き合いに出しますが、「memo61」というタイトルの記事でタイプ2とタイプ1の違いについてはある程度書いてるんですけど、全共闘教育で植え付けられるものをどのように特定の彼らがひたすら嫌うかというと、それはタイプ2的なものをということなのですね。タイプ1やタイプ6はその限りではありません。ここから大いに学んでいただきたいということです。私Shinpei Sugiura（杉浦真平）は、タイプ4w3ですが、あまりタイプ2のヒトたちと折り合いが悪くありません。わりと平然すんなりと彼らとは付き合っていけます。あまり彼らのことをウザいと思うことはありません。これはある種免疫じみた抵抗力があるからです。対タイプ2ということだけではなく、そういうある種の抵抗力の無いヒトたちを「弱い」の一言で片づけて臭いものにフタをする的な問題解決方法が是認されるというのはちょっとどうかなと思います。&amp;hellip;&amp;hellip;私は、タイプ2だったらタイプ3やタイプ7の方にあまり好きではないヒトが多いです。彼らは、やはり、「如何にして女を得るか」の世界の住人であることがありありと分かります。その段階からして私は彼らを好きではないという始まり方です。私は自分と同じタイプ4にすらあまり好きにはなれないヒトが居たりします。タイプ8は、竜頭万里子さんは「圧倒的なカリスマを放つ」と表現しておられましたが、大人タイプなので、「人において悪とは何か」ということを考えるにおいて（「memo44」というタイトルの記事その他を参照していただけると幸いです）彼らの行動が理解しやすかったりします。既に女を得ており、それでもってして、女は魔性の生き物である、という世界に生きるヒトビトです。（西暦2022年3月25日11時50分記載）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
原理を知ることで、当該の人々を一歩離れて鑑みることが出来るようになります。特に、タイプ2の場合、竜頭万里子さんはその欠点をして「なれなれしい」とお書きになっておられましたが。親和力が非常に強いのですね。だから、私はこの限りではないのでちょっとよく存じませんけれども、人によっては、「丸め込まれる～！」という様な認識に絡め取られる方もいらっしゃるのかもしれません。彼らは自己肯定感に溢れています。そのタイプ2を客体視するヒトのタイプ（タイプ2（自身）含む）にかかわらず、主体性の喪失に繋がると言うとちょっと語弊があるかもしれませんが、それを回避する為に、まずは相手を知ることから始めようよ、ということです。これはタイプ2的な親和力とはアンチするでしょう。対象と短絡直結してしまっているのが彼らです。誰しも他人に物事をしつけられたらうっとおしいですよね？（例えば、精神科医の旨は対処療法ですから、「ハイ薬を飲んで、ハイ終わり」というのが彼らの基本スタンスです。一部の精神科医に顕著なのですが、「自分たち」が健常であることをやたらとアピールするという連中が居ます。抗精神病薬という薬物自体が「究極のエニアグラム」のタイプ2の権化の様なものなのですが、そりゃ自分たちは抗精神病薬当該として「健常」に決まっているわな、という問題です。我々タイプ4の様な者にとって、何がうっとおしいのかと言えば、（竜頭万里子さん曰くの「掛け値の無い自分」にもよりますが）貴殿がうっとおしいということです。これは、上記の通り、「ヒト」に該当するわけではありません。これは上記免疫力と関係がありますが、我々も人間関係とはそういうものであるということを子供の頃から（ある程度は）学習しています。）（西暦2022年3月26日15時41分記載）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
例えば、国を相手取った訴訟で、国の責任を認めないという裁判所の判断について、「国民を馬鹿にしている」「現実を見ていない」という主張がある場合、確かにそれらについて（社会運営上）同意できるものである場合でも、法規概念上（？、私は法律に疎くこういった言い方しかできず申し訳無い）そういった判例を残してしまうとまずいという、ちょっと嫌味っぽい言い方ではありますが、法曹界ならではの判断があるという事ではないでしょうか。だから、国の側も原告の側もどちらもということです、社会運営上というのならば。&amp;hellip;ここから、法律の具体的な知識についての必要も出てきます。「まずは知ることから始めようよ」というのはこの線において妥当でしょう。judgementの存在意義が「被される」場合、ヒトが社会を形成する以上そういうことではないでしょうか。ナルシストの男性精神科医が女性患者に対して「（あなたと）結婚したい」と申告した場合、彼が法治圏外でない場合捕まってしまいますが、もし彼が嘘を吐いていない場合、我々はどう対処すればよいのでしょうか？少なくともここで云われる「ナルシスト」というレッテルは取り去られるはずでしょう。（西暦2022年6月18日14時10分5秒記載）</description> 
      <link>https://ssss1.blog.shinobi.jp/tagebuch/memo72</link> 
    </item>
    <item>
      <title>memo71</title>
      <description>例えばですよ、抗精神病薬の投薬の一端として、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
薬物で脳神経弄る&amp;rarr;身体感覚変えて足のヒラメ筋弱める&amp;rarr;足先に水分溜めさせて足を腫れ上がらせる&amp;rarr;それを糖尿のサインだと刷り込み脳神経を弄られる以前の正常で楽な身体感覚を糖尿病の状態であると誤認させる&amp;rarr;被投薬者の恒常性を利用してそれから立ち返る為のさらなる服薬を促す&amp;rarr;さらにその薬物によって脳神経が弄られていく&amp;rarr;以下ループ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これが何故「一端」足り得るかということなんですが、例えば、日本医科大附属武蔵小杉病院の（自称）医師達や（自称）看護師達も同じくということですが、ハートフル川崎病院の川村和正Dr.は「足先に（そういう風に）クるのが糖尿だからねぇ」とか「そういう風にキたら迷わず内科に駆け込んでねぇ」と私Shinpei Sugiura（杉浦真平）に対して述べたということがありますということです。実際、自分が診ている患者が歩行困難になったら大変ですから、川村和正Dr.が仰ることには医師の対応として妥当性が在り対処療法として適切であるかもしれません、が、抗精神病薬の投薬による「それが狙い」だということです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「memo35」というタイトルの記事その他を参照されると良いかもしれません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;hellip;&amp;hellip;そういった事を治療として行う医師連を藪医者であるということはできません。社会（学）的な側面から言及すれば、そういうキャラクターで患者にコミットしていることを治療の一環としているということです。しかし、ということは、精神科医というのはそういう人間達であるということです。この解釈は、「memo35」というタイトルの記事その他によって言及されているところのものによります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;

&lt;div&gt;事実記録。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
西暦2020年12月5日、ハートフル川崎病院への通院に際する東急田園都市線高津駅から下野毛のバス停へ向かうにバス車内において、下野毛のバス停に到着する直前、中国人か朝鮮人かともかく日本人ではない黄色人種の男が乗車中の私Shinpei Sugiura（杉浦真平）から向かって左方から私Shinpei Sugiura（杉浦真平）の腕を手で叩いて合図を送り直近で何かを言ったということがありました。出口扉のすぐ前に立っていた私Shinpei Sugiura（杉浦真平）は、その男が私Shinpei Sugiura（杉浦真平）が降車の邪魔であると告げたと思い、「いや、私も次で降りるので」と日本語で言いました。そうしたらば、その私Shinpei Sugiura（杉浦真平）から向かって右斜め前方の席（その男から向かって左上方の席）に座っていた茶髪の若い女が私Shinpei Sugiura（杉浦真平）の足元を指さして「きいろ！」と若干大き目の声で言いました（無礼千万です）。足元を見ると、私の靴の先と出口扉の間に黄色いラインが引いてあるのが確認されました。私Shinpei Sugiura（杉浦真平）は納得し、その男に手で礼の合図をし会釈をしました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上記女は予め「内容」を知っていたか、もしくは、偶然その男がしゃべった言葉を解して私Shinpei Sugiura（杉浦真平）に訂正を促した、ということです。この女の行いが必然や蓋然性に基づくということは有り得ません。&lt;/div&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
客体Aがaというデータを（事実であるとして）提示したとしても、「aがAを事実として提示したという事実」があるということなのであって、「Aが事実である」のではないのですね。</description> 
      <link>https://ssss1.blog.shinobi.jp/tagebuch/memo71</link> 
    </item>
    <item>
      <title>memo70</title>
      <description>韓国の法相を堕ろそうとしている韓国の検察は、社会の構成員とは何ら無関係な有りもしない「国民」像を掲げて、最後まで追い詰められた人間達に典型的な虚偽の正当性と存在しない援助をひたすら押し出し主張するという形で喚き散らしているだけです。連中の弱者の絡み手たるや、一度それに乗れば、ここでは検察改革に取り組む法相の側もということで、「双方」どころか社会における最小経済主体単位まで「皆」駄目にするでしょう。「需要の無いものなど供給しない」というのであれば、現代構成されている社会はとっくに（破滅という形で）破綻しています。&amp;hellip;&amp;hellip;例えば、とある件が取り沙汰されるにあたっての何でもかんでも国民投票法的な「選挙」というのはあり得ないのであって、奇しくもマスメディアが世論調査という形で行っていますが（だからこそ「世論調査」だということ、そこにマスコミの役割がある）、「一人一票」には（上記の様では）price性が無いわけであって、だからこそ「お上」の一端を担う立法府についてのそのような選挙が行われます。行政府や司法府についてのそのような選挙があったら大変です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中国の世界の他の国々との妥結の仕方は、習近平国家主席が他者を偉で支配しようとするのは間違っているとは仰っても、「一帯一路」や「ウィンウィン」という名称の下上手くやれれば良いですが、米国民を始めとした中国人ではないという内実を持った人達がそのように行動するものであると考えられます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
タイだったか何処の国だったか失念してしまいましたが、東南アジアのとある一国で、EUではその使用を禁止されている薬物を投与されて育てられたアメリカ産の豚の肉の輸入に反対するデモ行進が行われたそうです。只でさえ自分達をyellow pigと扱い馬鹿にする人々が食するその豚肉を「毒豚」などと呼んでボイコットするものであるから余計に馬鹿にされるでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本における、武田総務相による（各種大手）携帯電話会社への、料金を払う顧客というピンポイントによる（でランダマイズドされる）携帯電話料金プラン、への、評価は正しいものだと考えられます。何故ならば、適正な競争が、社会を構成する各経済主体がprice-giverとして機能することで、招かれるからです。&amp;hellip;&amp;hellip;実際既に「お上」はこういった形で介入してるでしょ？寡占市場であるから、とか、または、寡占市場に舞い戻って、とかいった議論はナンセンスであるかと思われますが。</description> 
      <link>https://ssss1.blog.shinobi.jp/tagebuch/memo70</link> 
    </item>
    <item>
      <title>memo69</title>
      <description>ちょっと性の話しますね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（特に女性で）そういうテーマが不愉快だという方はお読みにならないことをおすすめします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
例えば「memo40」という記事で書いた通り、私はいたずらなポルノの類は否定してますけど、それとは全く別の問題ということ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
黒色人種の女性もそうかもしれませんけど、白色人種の女性に特有の腰付きってありますよね？その形がどのような系統であるとか露骨に明言はしませんけど。芸能人の人でヌード写真を出版される方も居ますし、水着写真を見れば分かりますけど、黄色人種の女性で、やたらと腰を引いてそのようであることをアピールする女性たち居ますけど、生物学的にそれぞれの人種によってそれがどのようであるかはだいたい決まっている、というか、どういったヒト達が多数派であるとかありますよね？何故そうやって自分を脚色するんだと思いますけどね、あの人たち？違うことは分かるから。私は童貞なので正確には知りませんけど、セックスの相性もあるわけでしょ？特に貞淑な男女二人がそういう結婚をして子供を欲しいのに相性が悪くて子供が出来ないとかいうことになったら悲劇です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東京大学医学部の医師を自称する女医さんがおっしゃってましたけど、今はもう例えばボディスキャンというものがあるそうです。ペニスやヴァギナや肛門の具合がどのようであるかとか丸分かりです。便秘の治療で使われてるかもしれませんけど、腹の中に糞がどれだけ溜まってるかとかそういうレベルです。時代はもう変わりました。だから、きちんとそういった事を、子供たちに、学校の先生が、性教育という形で、教えて欲しいということです。体のことなので大切です。この間日本でも文部科学省がこのことに関する指針を発表したみたいですけど、新聞記事を読む限りでは、ちょっと間違っているというか違和感が少なくともあります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「スーパーコンピュータで社会問題となる出来事を予測して解決！」とか言ってるヒトたち居ますけど、人工知能やコンピュータの類を使えばヒトの行動や思考内容なんて簡単に予測できるので、人権侵害なんていくらでも行われるのですね。あらかじめこちらの思考内容を人工知能やコンピュータの類で演算して、こちらが自分の予定通りもしくは自分の思った通り行動するに従って「（そのようには）行動しない」が選択されているその行動を否定するような行動を特には連続的に取ることでまるでそれによってこちらがそれによって「（そのようには）行動しない」を選択したかのような幻覚を設定することが出来るのですね。もちろんこちらは自分で取り決めた予定や自意識に従って行動していますから、敵方がいくらそのような行動を取ったところで、敵の思惟に絡め取られたり敵を味方と誤認することはありません。ただ、うっとおしさの極みではありますけど。私Shinpei Sugiura（杉浦真平）が屋外に居ると敬礼をしてくれる人たちがよくいらっしゃいますけど、あの行為はその意味では有難いです。私Shinpei Sugiura（杉浦真平）は男性なので（まだ）平気ですけど、あれ女性はどうなるんだと思いますけどね。以前、電通の社員の若い女性で社内で自殺を図って死んでしまった人が居ましたけど、あの女の人はそういうストーキング行為をやられてたんじゃないかと思いますけどね。医師に精神病患者扱いされている人の中にはそういうことをやられてる人たちは居ますよ、つまりね、医師にはそういうことの片棒を担いで患者を攻撃する悪質な人間と、「ちょっと来なさい」ということでハブの役割を果たしながら患者の面倒を見る人間と、あとは、全面的にそういうことに反して純粋な患者に対する治療に勤しんでくれる善良な先生もいらっしゃるかもしれません。&amp;hellip;&amp;hellip;思考盗聴という側面の観点からも語っておきますと、仮に脳の能作からして読み取られていたとしても、見られる側が見せることを能動しているかしていないかまで見る側は知らざるを得ないので、結局本末転倒というか、見られる側はそのままでよいということです。見る側は、見られる側に対して、見ているとは言えない。少なくとも、見られる側は、認めなければよい。そうすると、もし見る側が見られる側に対して（純粋な）害意を持っている場合、見る側は見られる側を殺してくるでしょう。しかし、死を受け入れている者の場合、それは攻撃として通用しない。死んだほうがマシなくらいな経験が為されることは、それが成され得る限りにおいて、見る側の本イではないでしょうから笑えはしますけど。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
西洋の女性たちは、水着等の露出において、もの凄くセクシーです。彼女らは、「セクシー」というよりは、セックスというものが「『どの』ように」大切であり夫婦関係の基本であり人間関係の基幹として存在しているかよく分かっているのではないですかね。だから、そのようにセックスを捉えているのではなく、セックスというものがそのように在る、ということではないかと考えられますが。「恥の文化」ではなく、彼ら彼女らはまさに「罪の文化」に生きる者達であるということでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私の知っている女性で、何かしらたま～に私の眼の前に「登場」してくれる女性たちがいらっしゃるんですけど、あのね～、おそらくもうご主人も子供さんもいらっしゃるその御身で、あまりよろしくないのですよね～。まあ、自惚れたことをぬかすのなら、私個人の心情としては、まんざらでもないですけど、仮にですよ、ご主人がよいとおっしゃっても、メシを一緒に食う女友達くらい居てもよいかなとは思わんでもないですが、母親が不倫してるとなると子供は傷つくのですよね。だから、やっぱり、私Shinpei Sugiura（杉浦真平）は、そういうことには与しません。該当の個々人様におかれましては、ご勘弁願います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
トイレについて語っていらっしゃる人も居るようなので、一言。何か欧米では、最近、トランスジェンダーの人用の便所？だか何だか知りませんが、男女共用の公衆便所があるらしいのですね。これは止めた方が良いですよね。トイレは性別で分けた方が良いでしょう。下記で言及してますけど、戦時下ではないのだから、男も女も安心して用を足せるようなトイレの方が良いに決まってます。男性も同性しか使用できない便所という方が安心します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私の卒業した中学校、川崎市立宮前平中学校ですね、あそこはおぞましいですよ。トイレということに関して言うならば、男子便所と女子便所の間が高さ190cm程度の下部に隙間の空いた薄っぺらい木の板で仕切られているだけです（というのは、転校前の名古屋市立の中学校では、きちんと男子便所と女子便所がコンクリートの壁で別の空間として分けられていたので、それが異常であることが分かるということです）。だから、女子の排泄の音が男子に丸聞こえです。女の子たちもそれを知ってか知らずか、トイレットペーパーをもの凄く勢いよく回して音を立てて誤魔化すんです。私は男子生徒だったので、女子生徒に向かって「アレ嫌だよね？」とかそんな事を面と向かって聞けませんから、もの凄い気まずい思いしてました。こんなもの、思春期の男性や女性を前に、性教育上良いものであるはずが無いんですね。男性も女性も誰でも排泄をします。それが恥ずかしいことであるかのような意識を植え付けて、挙句の果てはトイレ盗撮だとかそういう世界です。日本人というのは、そういう犯罪を助長するような教育を既に義務教育の現場でやってるんですから、和式便所の形態に始まり、西洋人から鑑みて異常だというのも仕方ないでしょう。女性に伺うまでもなく、普通に嫌でしょ？
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地中海沿岸にそういった遺跡がバーッとある中の一つであるところのものということなんですが、私は、学生の時にあの辺りへ旅して、トルコのイズミルという第三都市にほど近いエフェソスという遺跡を訪れたことがあるんですが、まあ色々な意味で圧巻でしたね。トイレとか、公衆というよりは、今では遺跡となっている座り台に横一列に用を足す為の穴がボコボコッっと空いているというものです。「ああ、ここで男も女も皆出すんだな」と思いましたけど。そういう隠し所の概念があまり無い、「そんな場合じゃない」という環境の社会に当時の人々は生きていたということでしょう。だから、セックスも当たりまえに、そこら辺の原っぱ状態で行われていたものであるかと考えられます。そうじゃないと病気や殺し合いでヒトが簡単に死んでいくものですから、人口を維持できないという観点で当時の支配者階級のヒトビトは社会を捉えていたでしょうとも思われます。まともに教育を受けていたのは支配者階級だけでしょうから。子供を産むのは女性ですから、「私の子は&amp;hellip;」ということでそれこそ一種のコミュニティケアめいたものの内にヒトビトは生きていたということではないかと予想します。経済史的な話になってきますけど、あの時代文明は地中海沿岸を中心に発展していきました。戦時中の日常茶飯事ということを考えれば容易に想像は付くものと思われますが、そういうことです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;考古学の研究者の先生なんかには、実地的な証拠を特に重んじ、文献史学をやたらと嫌うというヒトも居るのですね。&lt;/div&gt;
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一部の日本人に未だに蔓延ってるんですけど、性描写に関していちいち嫌らしいとか難癖を付けるのが居るんですけど、オマエの「それ」が一番嫌らしいんだっつーのということを連中は全く理解しないんですね。男性はね、そういう社会的行為によって、例えば社会学で言うところの裏局域みたいなものの生成に役立てるという形で男同士の嫌らしい猥談みたいな方向へ昇華させられるから、別に良いんですけど、女性はそれによっておそらく本当に嫌らしい思いをして苦しむことになるんですね、そしてそれこそが男性の生殖の本能に基づく（無意識的に為されるものであろうが）狙いだったりもするわけです。だからそういうのをもう止めようよ、性教育というregulatorを介してでも認識界隈を何とかしようよ、と、皆で努力をしているわけです。&lt;/div&gt;
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昔、子供の頃に、ケビン・コスナー氏主演の「ロビンフッド」という映画で、森に潜む味方側の首領のおっさんが産気づいたおかみさんが産んだ赤ん坊を皆の前で高々と振り上げて「俺の子だ！」と高らかに叫ぶという場面があったことを覚えているんですけど、やっぱり対自然ということで峻厳な環境に生きている特には古代の西洋人というのは、「ああ、ああいう世界なんだな、」と思いましたね。性は生であり、喜びであるということでしょう。&lt;/div&gt;</description> 
      <link>https://ssss1.blog.shinobi.jp/tagebuch/memo69</link> 
    </item>
    <item>
      <title>memo68</title>
      <description>&lt;div&gt;私が現在服薬している抗精神病薬エビリファイのジェネリックの医薬品アリピプラゾールは、確かに使い方によっては生活の総体面で良い効能を私に対して及ぼすものですが、抗精神病薬全般については以下の事が言えます。それは、ヒトもしくはヒトの脳をアカ化（赤化）させるものである、ということです。それは、「せきか」ですから、そういう語呂合わせによっても考えることができるものであって、例えば肉体の筋肉各所がガチガチに凝りだすわけです。まさに「言葉の世界に生きている」者の為に在る物かもしれません。&lt;/div&gt;
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「レッドパージ」（「赤狩り」）とまでは個人的に言いたくありませんが、アカデミックという場合、その内実となるものの礎を考えると、「アカ」であるということが言えるでしょう。アカデミズムについても同じです。人的資本へのいたずらな抑留を表明する者を非難することは出来ません、何故ならば、それは単なる対人スキルであるところの非本位的な嘘であるからです。これが非本位的な嘘ではなく本位的な嘘である場合、それは、コミュニケーションに特化されたオペレーティングシステムが「入っている」とでも形容され得るものかもしれません。&amp;hellip;&amp;hellip;「人間関係を学ぶ」という場合、それは前者におけることとして考えられるでしょう。&lt;br /&gt;
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高い教育によって培われたものを悪質と見做し叩き出すというのであれば、そもそも教育を受ける義務も無いでしょう。ヒトは家畜ではなく、その肉は食われる為にあるのではありません。余談ですが、そもそも肉を食わなければ問題は成立しません。ヒトに理性や良識があるのであれば、このようなことにおいて自制は為されるべき（もの）でしょう。&lt;br /&gt;
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日本の社会にも関係あることなので言わせてもらいますけど、米国の国立アレルギー・感染症研究所所長のアンソニー・ファウチ医師が、米国のニュース番組で、COVID-19の処理について、「常識で」、「常識に則って」、さらには、「医師になるべく勉強している学生が影響を受けることは無い」、みたいなことをおっしゃってました。&lt;/div&gt;
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この場合、防衛という観点からして常識は大切でしょうが、そもそも常識を逸する事態に我々は現在体面しており、常識を基幹としたものの捉え方だけで問題を解決できれば誰も苦労しません。&lt;br /&gt;
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そして、ファウチ医師がおっしゃるような少なくとも見解からしての医学生の取り扱いが妥当・適例・必至だというのであれば、義務教育において医学を必修化してもらわねばなりません。現実的に考えて、それは各人の知力や労力の問題で不可能であり、仮に可能であるとしても莫大なコストが掛かります、し、もしそうなったらば医療技術が社会資本ではなくなります。それこそ医療社団法人ではなく医療法人社団を作らなければならなくなるというあたりで、医学や医療技術が特権階級の奢侈品へと堕ちます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ナチスの悪夢はすぐそこにあります。赤い欲望が欲望を呼ぶ破滅を避ける為には。&lt;br /&gt;
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例えば、証券会社の社員は自分が所属する証券会社の儲けを第一義としてお客に株取引を持ち掛けます。少し前にネット上で「コンバージドインフラストラクチャー」という少々長い唯名を見ましたし、かつてテスラのイーロン・マスク氏が「即時的（短期的）に金を儲けたいだけの人間はテスラの株を買わないで欲しい！」とおっしゃってましたけど、証券会社の社員に好まれないような株式への対し方のヒトもいらっしゃるわけです、が、証券会社は儲けたいので例えば新聞に「そういって」煽るような文言を載せるということを行ったりするわけです。企業というのは利潤が無ければ成り立たないので自らの利潤を最大化させようとします。これが企業というものによる社会の利潤の最適化であると説明する経済学者の先生もいらっしゃいますが、それは社会の利潤の最大化であって社会の利潤の最適化ではないと私は少なくともこの場では説明します。&lt;br /&gt;
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そして、それは、民主主義ではなく自己主義もしくは自己本位主義であって、資本主義がどう為されているかというと後者ではなく前者によってなのですね。全てのヒトがヒトラー総統と化し指令し合うという社会がどれだけ破滅を地でイっているか健常で普通の感覚を持ったヒトには容易にお分かりになられるかと思います。私は、過去、引きこもりがちな古典的アカデミズムに魅力を感じていました。そこでは、自己の能力の限界生産性自体が自己の能力と履き違えられるというおぞましいことが起こります。古い資本主義下では環境問題など度外視されてしまいます。それぞれの社会の構成員が大本営発表を行う先にあるものは世の破滅でしょう。そういうものは高等学校で受ける教育までで修了しているはずです。今はちょっと事情が違うかもしれませんけど、何故日本の大学生が勉強しないのかということが一時言われていましたが、それともちろんこの事は関係があります。&lt;br /&gt;
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個人投資家であろうが機関投資家であろうが、リスクを回避する為に投資を行うもしくは投資を行わないという行動を取るわけであり、従来の経済学に拠る「リスクを回避する為に投資を控える」とか「リスクを採って投資を行う」などという発想もしくはものの見方は総じてリスクを取っています。&lt;br /&gt;
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昔の人、とは言っても、日本において昭和が終わるあたりまでに義務教育を完了している人たちのことですが、彼らは随分と単純な事をそれが正解であるとして教えられていたのではないかという感慨を私は拭い去ることが出来ません。三島由紀夫氏ですら朴とつと単純なことを言います。もちろん故平岡公威氏と三島由紀夫氏は別個の存在として扱われるべき者ということでしょうけど。死、そう教えた。三島由紀夫の名前は残っている。&lt;/div&gt;</description> 
      <link>https://ssss1.blog.shinobi.jp/tagebuch/memo68</link> 
    </item>
    <item>
      <title>memo67</title>
      <description>私Shinpei Sugiura（杉浦真平）は少なくともそれらについては汚いものを全部着せられて（社会的に、という程の事も陳腐だが）殺された後なので、こういった事を平気で言えますけど、普通はこういったことすら言えないよね。社会にはびこる汚い奴らって、本当に汚いので。&lt;br /&gt;
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例えば竜頭万里子さんならご存知でしょ？他PCの事について色々ご存知だもんね？それと「直接は」関係無いだろうけど、私杉浦真平（Shinpei Sugiura）の名前で申請したのに私杉浦真平（Shinpei Sugiura）の実弟の名前宛てに本送りつけてきたのも竜頭万里子さんですから。&lt;br /&gt;
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あのPCで、アダルトゲームを行ってたのは私Shinpei Sugiura（杉浦真平）ではなくて私Shinpei Sugiura（杉浦真平）の実弟、SimCity3000でキレイな街作ってたのは私Shinpei Sugiura（杉浦真平）の実弟ではなくて私Shinpei Sugiura（杉浦真平）（私の実弟ね、アレもSimCity3000で汚い街しか作れない程馬鹿ではないですから、アレは（おそらくワザと）SimCity3000で汚い街を作ってました、それを私Shinpei Sugiura（杉浦真平）の作品であることにする為に。）。どういう意図でかは明確でありませんが、私の実父が私私Shinpei Sugiura（杉浦真平）の目の前で私Shinpei Sugiura（杉浦真平）の実弟のそのPCを起動させて全ファイルをスキャンして見せたことがありました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ハートフル川崎病院？あそこはね、私Shinpei Sugiura（杉浦真平）を入院患者としてブチ込んで汚物を詰め込んで在りもしない事を在るかのように見せかけて立証しようとしたという組織的集団犯罪を行っていたという側面もあります。行けば分かりますけど、（もう）普通のお客は居ません、自業自得だよね。金品の窃盗等、敵方による犯罪。入院中に（病院内で）所持物が傷付けられたとかいったこともあります。現在、自宅マンションの自室内の物については日常茶飯事です。医師（を装った者ら、も）・看護師（を装った者ら、も）・入院患者（を装った者ら、も）、全て「そういう」意思の下にまとめられた者達であり加害者集団です。象徴的行為として被害者であるこちらに「見せ付け」ておいて「見てんじゃねえ」と言ってくるということがあったりします。また、「家族だと罪にならない」と警察が嘘を付いていることは明白、家族ならば殺しても罪にはならないと言わんばかりです。逆に、そういった形で（この場合では家族であるところの）ヒトとヒトとの絆もしくは縁を引き裂こうとしているのも明白です。ちなみに、そうやって流れ的に私Shinpei Sugiura（杉浦真平）を犯罪者に仕立て上げる気なのは丸分かり。&amp;hellip;&amp;hellip;「いい」事など何もありません、ヒトの一生はそのように甘いものではありません。悪い事の無い一生を工夫して捻出することは出来るかもしれませんが。どういった歴史教育を受けるかにも因りますが、歴史認識の甘さというのはそれの一因としてあります。それを削ぐ為にも、経済史の学習というのはおすすめです。奇しくも、COVID-19にまつわる問題には、明らかに選別の側面があり、あたかも経済史学の如きであり笑えるほどです。&amp;hellip;&amp;hellip;抗精神病薬というのは、上記のような自己防衛機制を剥ぎ取ろうと患者において作用するもので（も）あり、もちろん精神科医はこの点については狙ってやってます。私Shinpei Sugiura（杉浦真平）は露出狂ではありません。竜頭万里子さんの言を借りるのならば、「仲間ではないのです」ということであり、精神科医面々はこの言葉を充分ご吟味下さい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
精神科医はカルテを作っている。彼らはそのカルテによって、私Shinpei Sugiura（杉浦真平）にとって利となること、そして自分達にとって利となること、を、行っている。（ということは）、もちろん、診察室の外での彼らは私Shinpei Sugiura（杉浦真平）の敵である。別に、私が、職業人としての彼らしか知らないのであれば、何も問題は無い。「しかし、そうではないな」、と、私が判断する限りにおいて、彼らはそこを突いてくる。「呑まれろ」と彼らは言っている。私の判断は、もちろん、具体的事項による。彼ら精神科医は、まず、そこを（から）突き崩そうとする。それが良く発現すれば良い。それは、一種の倒錯による治療であろう。しかし、生物としての本能によるものまで是認されてしまっては、ヒトが織り成す社会に組み入れられることは難しいだろう、彼らも私も。もちろん、人工知能やコンピュータの類が使われているだろうが、そうでなければ治るものも治らない（というのが彼らの見解である）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今現在、同院の川村和正Dr.によって、私Shinpei Sugiura（杉浦真平）に対して、処方されている抗精神病薬エビリファイのジェネリックの医薬品を服薬するということにおいてのみ私Shinpei Sugiura（杉浦真平）と彼らとの間にコミットメントが存在します。&amp;hellip;&amp;hellip;自宅の屋外で私Shinpei Sugiura（杉浦真平）に対して絡んでくる連中を見れば分かります、明らかに「正規の」連中までが私Shinpei Sugiura（杉浦真平）にその医薬品を飲ませたくない。確かにその医薬品を服薬するだけで「症状」が良くなっている保証は何処にもありませんが、私が現在行っている全ての事によって「症状」は良くなっておりそれにはその医薬品を服薬することが基幹として含まれています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
社会を挙げて総出で作った典型的オタク像であろうが何であろうが虚像が台無しにされることを恐れた連中が必死に私Shinpei Sugiura（杉浦真平）を使っていわゆるヤったというわけです。&amp;hellip;&amp;hellip;医者も色々と新規の病気を作ってますよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私Shinpei Sugiura（杉浦真平）が、例えば、近所へ買い物へ行くにおいて、買い物の度に高頻度で買うものやあらかじめ買おうと志しているものがあったりします。（その上）で、主に若い年齢層の女（ヒトのメス）が前方後方色々な所でスタンバイしている（絡んでくる）というものがあります。私Shinpei Sugiura（杉浦真平）がそれらをカートのカゴに入れる段になって接近してきたりカートのカゴで「さや当て」をしてきたりします。例えば、ほぼ毎回その店へ伺うにおいて購入する黒いパッケージの商品があります、そうすると上下黒服の若い女二人連れがアタッチしてくるとかいった事があります、それに先立って別の若い女二人連れが何らかの場所にスタンバイしていてその黒いパッケージの商品を私Shinpei Sugiura（杉浦真平）がカートのカゴに入れる瞬間をしかめ面でワザとらしく観察することをこちらに対して見せ付けてくるという事があったりします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私Shinpei Sugiura（杉浦真平）はそれら若い女（ヒトのメス）を基点として購入物を決定しているのではありません。連中は、手前のなすりつけを行うと同時に、私Shinpei Sugiura（杉浦真平）を上記アダルトゲームの主人公の様に仕立て上げたいのでしょうね、とは考えられます。あの売春婦と同格というよりはもはや同値の女共、そうやって「作る」ことによって攻撃と防御の同時を行ってくるわけです。以前も書きましたが、昔の不良少年少女集団を考えてもらえればよいんですけど、連中は、簡略化して分かりやすくは、世界の構成上どうとかというよりは、ヒト社会上自分達は排斥されるから縮図を作って二義的に人種差別をや（り返し）ってやるという連中です。&lt;br /&gt;
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女性にも色々な方がいらっしゃるでしょうから、こういったその内容が一律的であるような事は申し上げにくいのですが、ちょっと私は男性（ヒトのオス）として女性（ヒトのメス）には不審の目を向けざるを得ません。存在論的に女性が男性より劣等であるとかそういった価値観の持ち主ではありませんけど、私は。男性も女性も同じくヒトですから。男性と女性が生活を共にするにおいて、結婚という制度があり、それを踏まえ通過した上で社会的承認を得るということになるということでしょう。結婚ということにおいて結婚ということが第一義として来るのであれば、社会的承認も制度としての結婚も必要無く、ただ好き合う二人が一緒になればいいということでしょう。&lt;br /&gt;
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同性婚についての話題が絶えない昨今ではございますが、ところで、同性婚を宗（旨）とするカップルが法律上「正式に」認められなければならない必要ってあるんですかね？私個人の意見としては、同性同士での結婚というのは結婚という社会制度の存在意義上あり得ないことだと考えています。しかし、ということは、「そんなに好きなんだったらくっついてりゃいいんじゃないの？」と思う、その程度のことだと考えています。ルームシェア等で特定のルールの下行動をともにしているヒト達もいるでしょう。また、単に、仲が良く濃密な友人関係がそこにあり一緒にいるというヒトたちも居るでしょう。街で、男同士や女同士で並んで歩いているだけで問答無用でgayであるということになるのでしょうか？そしてそれが差別の火種であるということになるのでしょうか？違いますよね。生殖可能性が有る（異性の）カップルを法律で是認しなければならない必要性というのは在るでしょうが、生殖可能性が無い（異性の）カップルを法律で是認してはいけない必要性そして同を法律で是認する必要性の無さというのは無いでしょう。
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「婚姻の自由」が逆説的に「婚姻の不自由」を招いているのであり（自由には責任が伴う）、「お役所が特定カップルに対する婚姻を認めるという社会的制度は現行で存在しますよ」というスタンスでお役人さん達が門戸を開放しておけば少なくともこれについては万事可ということです。これには、根深いことに、当該社会に所属する人間達の社会的価値承認要請というものが根付いています。「社会的価値承認欲求（の存在）」という形容で為される人々はまだ社会的に是認される余地もあるかもしれません。しかし、これが前者となるとうっとおしがられ社会的に排斥されるでしょう。それは、他者に対して自らの社会的判断を押し付ける者であったり、他者に対して物理的暴力を振るう者であったりするでしょう。&lt;/div&gt;
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（西暦2023年2月18日21時4分記載）&lt;/div&gt;
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私は、ヒトのオスで、ヒトのオスを見て性的興奮を感じることは無く、性欲の対象はヒトのメスなので、ホモセクシャルではなくヘテロセクシャルです。しかし、女性一般を卑下する様な事は言いたくないのですが、私個人ということについて、ヒトのメスなどリスクでしかないのですね。もちろん私は女性とも男性とも性的交渉を持ったことはありません。別に特に日常生活において、女性と接することを訝しがることはありません。しかし、私はヒトのメスとは、特にそういう関係ということでは、一切関わり合いになりたくありません。私は、女性には、精神的にも経済的にも自立していて欲しいです。その方が、特にそういう関係ということでは、自らにおけるリスク軽減につながるからです。別に、男女のカップルが屋外でイチャつくなとかそういうことを言っているのではありません。むしろ男女が仲良くしているのを見ると、私は、ほほえましげになったりします。そうではなくて、私は、ヒトとヒトが精神的に依存し合うのが嫌いなのです。特に女性の場合は、経済的に自立していないと、男性にやり込められて、男性に対する一方的な精神的依存を引き起こしてしまうのですね。私は、ここで、自分の母親を責めているのではありません。別に彼女に死んでほしいとは思いません。何故ならば、「もう既に私は彼女から生まれてしまったから」です。この事実がある限り、私は彼女との関係を断ち切ることは出来ません。ちょっと言い方が悪いですが、よって私はもう被害に遭った後であり、（母親との関係ということにおいて）諦めを誘発させられています。ともかく、そういうことで、私は、特定の女性と特定の関係を結ぶなどということとは無縁の世界で生きている者です。はっきり言って、そんな（特定の女性と特定の関係を持つなどという）自分は、気持ち悪くて仕方がありません。（西暦2023年2月4日22時32分記載）&lt;/div&gt;
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関係無いですけど、この記事を書いてupする（した）にあたってクラッカーによるリアルタイムでの改変が凄まじいんですけど、どういう奴らがクラッキングしているかもしくはそのクラッキング行為において意思を介在させているか分かるでしょ？上記を書かれると都合が悪い奴ら、ということ。</description> 
      <link>https://ssss1.blog.shinobi.jp/tagebuch/memo67</link> 
    </item>

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