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感染ネタ。




COVID-19について、77億人のうち少なくとも122万人がこれによって死亡している、ということらしいんですが、3か月4か月後にはどうなっているでしょうか?

confirmedが増えているというのは、検査体制の限界生産性というものがありますから、検査体制が整ってきたという事態もあるのであって、各人の自己防衛の意識の不足や医療設備の飽和性による非衛生的な新規感染による増加よりも、それによっているということなのではないでしょうか。どういうことかというと、数ヶ月前や半年前あたりの状態ではdeathsが「概算」されていた、ということです。つまり、現在はそれがナンセンスもしくは下らないものであるとされていようとも、数か月後にはgovernmentは数値を持って来られて「糾弾」され得るということです。実際の死と、数値(の数値性)に基づく死者数の間には、隔たりがあるということです。

製薬会社の研究者の人達によるvaccineが早く為されれば良いと、私は、僭越ながら、願望しています。




後記1。

vaccinatingによって、それだけウィルスに対する抑制効果が働き、健常に近いヒトが増え、(日本)政府の発する非常事態宣言がキャンセルされる可能性は高くなる。にもかかわらず、vaccinationにアンチするヒトビトの総意として、非常事態宣言が解除されないと都合が悪いヒトたちの意見が採用されている。日本のマスコミは一体何を報道しているのか。どうやら日本のマスコミは、この忌避されるべき事態をそうではないと認識しろと国民に強制したい様である。例えば、飲食店経営者の非常事態宣言に対するアンチがunvaccinated代表という形で報道されていたりする。日本人特有の共感・共苦もここまでくれば猛毒である。……ウィルスは存在する。そして、それがまるで政府の大本営発表であるかのように取り扱うということは間違っている。服従か死か選ばないのであれば、公衆衛生の観点からして雑菌扱いされても仕方が無いであろう。

ちょっと、「具体的な」、話。非常事態宣言の「効果」とは何か。それは具体的法規事項における法規措置力の問題だろう(私は法律に疎くこういう言い方しか出来なく申し訳無い)。もちろん、全てを法廷へ持ち込んで事を遂行させている余裕は無いので、例えば欧米の(主要)都市においてアンチロックダウンの動きに対して警察が大々的に動くという事が観察されたりする。日本においても、警察官の人達が例えば都心にて通行人に喚起を促す街宣活動を行っていたりするが、日本人というのは双方共にそういう動きしか行わない。そこで「そう」(事実を)報道する(だけだ)という形で茶々を入れる日本のマスコミは明らかに狙っている。




後記2。

(生物としてのヒトにおいて)特定の脳機能aに基づく行動Aをとるヒトが存在し、(生物としてのヒトにおいて)特定の脳機能bに基づく行動Bをとるヒトが存在するとする。仮にそれが、そのヒトらにまつわる具体的行為(として)の表象であろうが、仮に例えば何らかのデバイスを利用してのリモートな(?)、現象であろうが、それらは総じてそのヒトらの表象(と見なされるもの)である。ヒトは脳機能そのもので他者とコミュニケーションを取るのではない。

このことにおいて、私の脳科学というものに対するスタンスは、具体的な医療行為としてのものでない精神医学の場合と同じである。

例えば、医師に発達障害との診断結果を下され職場を免職になった人の案件について。該当の人は、この雇用者側の行為を違法であるとして訴訟を起こした様だが、ともかく、その人は、それまでも、その職場で働いていたものであり、特に医師に発達障害との診断を下されたと同時に発達障害の症状が発現し「発達障害になった」というわけではない。よって、「この機に及んで」、該当本人に退職勧告が為されるというのは異常である。私Shinpei Sugiura(杉浦真平)は統合失調症患者だが、こういった案件については、発達障害その他の精神病患者の人たちと同じであり、事件として憂慮されるものである。

(西暦2023年2月17日22時26分記載、西暦2023年2月20日15時17分加筆改変)




後記3。

何故COVID-19のオミクロンヴァリアントについて'of concern'なのか。科学者達は答えを「知って」いる。だから、その実態に合わせて(において)当該的にそうであるという事なのに、科学を信用できないというのであればそれまでである。そういう社会資本を担う人々について、これは従うとか従わないとか信用するとか信用しないとかそういう問題ではない。科学者に対する意見と科学技術に対する知見は別個のものである。




後記4。

私は、ヒトの顔面というのは、造形・人相・表情の作り、で、成り立っていると考えている。表情の作りはともかくとして、造形が整っていても人相が悪く醜い顔をしたヒトというのは居る。逆に、造形があまり整ってはいないが人相が良くその顔が美しいと見做されるヒトも居る。その顔の、造形も整っておらず、人相も悪いが、表情の作りが上手く他者に好かれるヒトというのも居るだろう。中には、この三要素全てに恵まれていてとても良い顔であると云われるヒトも居るかもしれない。しかし、逆に、この三要素全てに恵まれておらず良い顔ではないとの評を下されざるを得ないヒトというのも居るだろう。

ところで、顔という題材を取り上げるとなると、それには様々な意味があり、少なくとも日本人ということになると顔ということについては二義的である。おそらく日本古来から続く本音と建前のフェノメノロジーが、共感や共苦といった、それこそ文化科学的な側面から考えるのであれば味噌や納豆といった食材に在るように(食べれば分かる)、極めて概念として当該的なtextに社会的に支配されながら、緩やかなグラデーションを描く。イギリス人は皮肉も理解するだろう、階級社会だからである。

「強さの厭世主義」はあるのかとニーチェは言ったがそんなものは無い、と、私は別所で書いたが、「弱さの厭世主義」と共に「辛さの厭世主義」というのはあるかもしれない。人間一般における(病衰を含む)老化ということも「辛さの厭世主義」においてあると言うことが出来るかもしれない。そして、それが変逸して「『強さの厭世主義』という勘違い」へと化けるということもあると言うことが出来るかもしれない。フリードリッヒ・ニーチェは現在の私Shinpei Sugiura(杉浦真平)と同じくらいの歳で既に老人であっただろうが、老人における頑固さや頑迷さというのはおそらくそういうものだろうとは予想する。

(西暦2023年2月5日20時23分記載、西暦2023年2月6日4時15分加筆改変)
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