例えばですよ、抗精神病薬の投薬の一端として、
薬物で脳神経弄る→身体感覚変えて足のヒラメ筋弱める→足先に水分溜めさせて足を腫れ上がらせる→それを糖尿のサインだと刷り込み脳神経を弄られる以前の正常で楽な身体感覚を糖尿病の状態であると誤認させる→被投薬者の恒常性を利用してそれから立ち返る為のさらなる服薬を促す→さらにその薬物によって脳神経が弄られていく→以下ループ
これが何故「一端」足り得るかということなんですが、例えば、日本医科大附属武蔵小杉病院の(自称)医師達や(自称)看護師達も同じくということですが、ハートフル川崎病院の川村和正Dr.は「足先に(そういう風に)クるのが糖尿だからねぇ」とか「そういう風にキたら迷わず内科に駆け込んでねぇ」と私Shinpei Sugiura(杉浦真平)に対して述べたということがありますということです。実際、自分が診ている患者が歩行困難になったら大変ですから、川村和正Dr.が仰ることには医師の対応として妥当性が在り対処療法として適切であるかもしれません、が、抗精神病薬の投薬による「それが狙い」だということです。
「memo35」というタイトルの記事その他を参照されると良いかもしれません。
……そういった事を治療として行う医師連を藪医者であるということはできません。社会(学)的な側面から言及すれば、そういうキャラクターで患者にコミットしていることを治療の一環としているということです。しかし、ということは、精神科医というのはそういう人間達であるということです。この解釈は、「memo35」というタイトルの記事その他によって言及されているところのものによります。
事実記録。
西暦2020年12月5日、ハートフル川崎病院への通院に際する東急田園都市線高津駅から下野毛のバス停へ向かうにバス車内において、下野毛のバス停に到着する直前、中国人か朝鮮人かともかく日本人ではない黄色人種の男が乗車中の私Shinpei Sugiura(杉浦真平)から向かって左方から私Shinpei Sugiura(杉浦真平)の腕を手で叩いて合図を送り直近で何かを言ったということがありました。出口扉のすぐ前に立っていた私Shinpei Sugiura(杉浦真平)は、その男が私Shinpei Sugiura(杉浦真平)が降車の邪魔であると告げたと思い、「いや、私も次で降りるので」と日本語で言いました。そうしたらば、その私Shinpei Sugiura(杉浦真平)から向かって右斜め前方の席(その男から向かって左上方の席)に座っていた茶髪の若い女が私Shinpei Sugiura(杉浦真平)の足元を指さして「きいろ!」と若干大き目の声で言いました(無礼千万です)。足元を見ると、私の靴の先と出口扉の間に黄色いラインが引いてあるのが確認されました。私Shinpei Sugiura(杉浦真平)は納得し、その男に手で礼の合図をし会釈をしました。
上記女は予め「内容」を知っていたか、もしくは、偶然その男がしゃべった言葉を解して私Shinpei Sugiura(杉浦真平)に訂正を促した、ということです。この女の行いが必然や蓋然性に基づくということは有り得ません。
客体Aがaというデータを(事実であるとして)提示したとしても、「aがAを事実として提示したという事実」があるということなのであって、「Aが事実である」のではないのですね。