私は特に他者に必要とされたいと思う人間ではないです。昔、国語を教える先生が、「交遊関係に積極的な人間は、本当の孤独を知っている人間だ」みたいなことをおっしゃってましたけど、その人によると私は本当の孤独を知らないということなんでしょう。私は特に自分のことを孤独だとは思っていませんけど、そもそも孤独か孤独でないかという尺度で自分を裁いていないので、「孤独」ということ自体がどうでもよいです。
人における美徳潰しが承認されるべきではありません。悪徳を好しとするのは悪人ではなく善人の内の一部です。加害者が悪意をもって特定の他者に絡むのは加害者がその被害者に是認されていないと見做しているからです。悪人は他者の是認など求めていません。善悪を使い分けられる者は悪人であり、それは他者に対する純粋な攻撃でしょう。その被攻撃者が、自らが是認されていると見做しているか、もしくは自らが是認されていないと見做しているか、ということに攻撃の本質があるでしょう。例えば、ナポレオンは竜頭万里子さんの「究極のエニアグラム」のタイプ8だそうですがナポレオン同士だったらば上手くやれるということです。
加害者が特定の事柄Aを行うにおいて、仮に加害者がそれを悪事であると認識して行っていなくとも、加害者はそれが被害者の是認を求める行為となっていることは理解できるものであるということです。……それが被害者にとって少なくとも短期的には損益となる加害行為を加害者が被害者に対して行う場合、その行為によって被害者は是認を求められているものです、何故ならば被害者は損益という呵責で判断されているからです。しかし、この場合、「短期」の解釈が問題となってきます。
全ての精神医学の定義は仮説だそうですが、「不完全」という表現で、その内容物が一色単にされるべきではないでしょう、ということを、精神科医はスキゾフレニアということで必死に訴えている、という側面も精神科医におけるスキゾフレニアにはある、ということではないですかね。……かつて竜頭万里子さんは「どの精神科医もタイプ2かタイプ4で……」とおっしゃっていましたが、精神科医が竜頭万里子さんの「究極のエニアグラム」のタイプ2(的)であるかタイプ5(的)であるかというと明らかにタイプ2(的)の方であるということです。
自らにとって望まない状況の作成に加担する者に対して(その是正を勧告する等で)味方(を装う者)は、その是正(を試みている)に過ぎないでしょう。それを相手に見破られていることを知りながら、さらにそれを試みる者は、その相手(において敵対行動を取っている)と見做されるでしょう。
以前も書いたのですが…、
その対象が「目的概化」している時点で、その対象は私Shinpei Sugiura(杉浦真平)より力は下です。つまり、その対象は私の味方ではありません。つまり、その対象は私の敵であるということです。
私がその対象に対して是正を勧告する等を行うことは無く、その対象が私に対して是正を勧告する等を行うことは有るでしょう。(「単元的」とか)「目的概化」というのはそういう意味です。
(西暦2023年2月8日11時42分記載、西暦2023年2月8日12時50分加筆改変)