何か月か前に、中国の人が「水道水でお茶を沸かして飲める幸せ」という内容のことを言っている動画を見たんですけど、これは私にはよく分かりますね。10年くらい前にブログで書いた通り、水道から出てくる水がおそらくはやられて不味くなって飲めなくなったことがあるからです。子供の頃は、一般的な日本ということで、水道水は普通にきれいでじゃんじゃん使えるだけ使うという環境に生きてましたけど、これは当たり前のことではないんですね。アメリカへは私は行ったことが無いのでちょっと分かりませんが、当地でも水道水を飲めないようなことがあるのかな?そんなようなことを示唆している情報をネットで見たことがあります。ヨーロッパは東も西も、私が行ったことがある国では、水というと皆ミネラルウォーターを飲んでました。ロシアではきれいな飲料水を確保できないで困窮を訴えている人も居るみたいです。
その人は、比較的あまり裕福でない地方に在住している、最近の中国の指導部によって整備された平屋の新興集合住宅のようなところにお住まいの方だったかな?そこで全域に敷かれている細い水道管から出てくるきれいな水が印象的でした。やはり、(今の)中国は公共財の整備の類については優越、社会を底上げしてhealしているなというような印象を受けます。先進国で、数年前に、水道事業を民営化して失敗したというのは、有名な話です。
経済学者でノーベル賞受賞者のJoseph Stiglitz氏が「国の借金は問題ではない」という内容のことをおっしゃっているみたいですけど、私は経済学者ではないので特に「リフレ派」を自称するつもりはありませんが、流動性は社会が運営されるにおける緩衝材の一つに過ぎないので一部の経済学者にはびこる現存のお金をどう操作するか?という幻影に枠組みを与えるという行為には制御を掛けていただきたいと考えております。それが、既存の経済学の特には存位上のこととして、必要無いと言っているのではなくて、その考え(方)だけでは社会は存立しないよ、ということです。